2019年06月27日
■創作劇『こころつないで』を、ふか~く楽しむために
■創作劇『こころつないで』を、ふか~く楽しむために(その11)
金春秋の敷いたレールの上を中大兄と大海人の兄弟は走って行きます。しかし、勝っても負けても、二人の兄弟は、自らの利にする。用意周到な戦略を敷き、豪族同盟倭軍は「百済の役」へ出撃していきます。前将軍、中将軍、後将軍と縦列隊列を組み、百済救済のため韓半島を目指していくのです。中大兄、大海人は出征しません。そのような中、彼らの母であり天皇であった斎明が筑紫の地で亡くなります。外征の地での崩御でした。軍制トップの崩御であり、軍隊の動揺が想像できますが、動揺を伝える記事は『日本書紀』に見ることはできません。実権者である中大兄の存在とともに、各軍の統制者が各豪族の長であったことが、いわば私兵であったことが功を奏したのかもしれません。いずれにしても、その後の為政権を称制として中大兄が握り、政ごとを司っていきます。
天智二年(663)8月27日・28日、その時がやってきます。
『日本書紀』には「大唐の軍将、戦船一百七十艘を率て、白村江に陣烈れり。戊申に、日本の船師の初づ至る者と、大唐の船師と合ひ戦ふ。日本不利けて退く。・・・・大唐、便ち左右より船挟みて繞み戦ふ。須臾之際に、官軍敗続れぬ。水に赴きて溺れ死ぬる者衆し。・・・・是の時に、百済の王豊璋、数人と船に乗りて、高麗へ逃げ去りぬ。」と記されています。一方、『唐書』劉仁軌伝には「仁軌遇倭兵於白江之口、四戦捷、焚其舟四百艘。煙燄漲天、海水皆赤。・・・」と記されています。主戦場となった白村江、白江は倭・百済の兵士たちの血で真っ赤に染まったと伝えています。

●白村江の戦いの場面【第3回公演】
我が国倭にとって、白村江の大敗です。その敗因は、これまで記してきたように様々な要因が絡み合い、負の方向へと導引されていったのです。しかし、そのことを予想していた中大兄と大海人の二人の兄弟は、すぐさま「負けた時の対処」へと舵を切ります。
「大帝国唐と新羅が海を超えて我が国倭へ攻めてくる。」
・・・・・・・【つづく】
金春秋の敷いたレールの上を中大兄と大海人の兄弟は走って行きます。しかし、勝っても負けても、二人の兄弟は、自らの利にする。用意周到な戦略を敷き、豪族同盟倭軍は「百済の役」へ出撃していきます。前将軍、中将軍、後将軍と縦列隊列を組み、百済救済のため韓半島を目指していくのです。中大兄、大海人は出征しません。そのような中、彼らの母であり天皇であった斎明が筑紫の地で亡くなります。外征の地での崩御でした。軍制トップの崩御であり、軍隊の動揺が想像できますが、動揺を伝える記事は『日本書紀』に見ることはできません。実権者である中大兄の存在とともに、各軍の統制者が各豪族の長であったことが、いわば私兵であったことが功を奏したのかもしれません。いずれにしても、その後の為政権を称制として中大兄が握り、政ごとを司っていきます。
天智二年(663)8月27日・28日、その時がやってきます。
『日本書紀』には「大唐の軍将、戦船一百七十艘を率て、白村江に陣烈れり。戊申に、日本の船師の初づ至る者と、大唐の船師と合ひ戦ふ。日本不利けて退く。・・・・大唐、便ち左右より船挟みて繞み戦ふ。須臾之際に、官軍敗続れぬ。水に赴きて溺れ死ぬる者衆し。・・・・是の時に、百済の王豊璋、数人と船に乗りて、高麗へ逃げ去りぬ。」と記されています。一方、『唐書』劉仁軌伝には「仁軌遇倭兵於白江之口、四戦捷、焚其舟四百艘。煙燄漲天、海水皆赤。・・・」と記されています。主戦場となった白村江、白江は倭・百済の兵士たちの血で真っ赤に染まったと伝えています。

●白村江の戦いの場面【第3回公演】
我が国倭にとって、白村江の大敗です。その敗因は、これまで記してきたように様々な要因が絡み合い、負の方向へと導引されていったのです。しかし、そのことを予想していた中大兄と大海人の二人の兄弟は、すぐさま「負けた時の対処」へと舵を切ります。
「大帝国唐と新羅が海を超えて我が国倭へ攻めてくる。」
・・・・・・・【つづく】