2018年10月23日
■国土交通省ほか現地視察案内
去る10月15日・16日に、基山町が現在策定を進めている『基山町歴史的風致維持向上計画』の認定前現地視察として、所管庁である国土交通省・農林水産省・文部科学省の担当官が基山町の視察に来られました。
当会も、理事長、副理事長をはじめ会員、合わせて3名が現地視察案内に同行し、基山町の個性である様々な文化遺産と町民が培ってきた歴史的風致について、熱く解説しました。

●特別史跡基肄城跡南水門にある住吉神社の被災状況も視察
(元あった部材を使うことで歴史的風致形成建造物保存修理が可能です。)
※条件は、元あった部材を使うことです。新しい部材では補助事業は組めませんのでご注意ください。

●荒穂神社を視察
(「御神幸祭りにみる歴史的風致」に関わる建造物を視察)

●お仮殿前に干してあった稲ワラについても視察

●基山商店の酒造りについて視察
(「木山口町にみる歴史的風致」に関わる建造物を視察)
食事も歴史的風致のひとつと考え、我が町基山のソウルフードである丸幸ラーメンに始まり、郷土の食材や基峰鶴を堪能いただきました。
我が町基山の先人たちが培ってきた歴史と文化がまちづくりに生かされる。どこにもない街こそが、「来てみたくなる」街です。基山の地の利は、都市圏に隣接し、鉄道、バスを使って都市圏から20分から30分で来ることができる「田舎」です。都会の人々の心の癒しの場を提供する、そこには基山にしかないモノ(もてなし、物、時間、環境など様々)を感じ、味わい、過ごしていただければいいと思います。何も特別なことは必要ない、基山で培ってきた歴史と文化を、ありのままに出していくことこそ、無理の無い歴史を生かしたまちづくりになるのだと思います。
来年1月中旬には、国土交通大臣、農林水産大臣、文部科学大臣の認定を受けるべく、最終調整に入っています。認定を受けると来年度から松田町長が取り組むまちづくり計画のひとつである、基山の歴史と文化を取り入れた、個性あるまちづくり『基山町歴史的風致維持向上計画』がスタートすることになるでしょう。佐賀県内では、佐賀市に次ぐ2番目の認定になり、九州では9番目の認定となる予定です。

●国土交通省担当官からの講話の様子
(全国で行われている歴史的なまちづくりについて、関係者向けに解説いただきました。)
当会も、理事長、副理事長をはじめ会員、合わせて3名が現地視察案内に同行し、基山町の個性である様々な文化遺産と町民が培ってきた歴史的風致について、熱く解説しました。

●特別史跡基肄城跡南水門にある住吉神社の被災状況も視察
(元あった部材を使うことで歴史的風致形成建造物保存修理が可能です。)
※条件は、元あった部材を使うことです。新しい部材では補助事業は組めませんのでご注意ください。

●荒穂神社を視察
(「御神幸祭りにみる歴史的風致」に関わる建造物を視察)

●お仮殿前に干してあった稲ワラについても視察

●基山商店の酒造りについて視察
(「木山口町にみる歴史的風致」に関わる建造物を視察)
食事も歴史的風致のひとつと考え、我が町基山のソウルフードである丸幸ラーメンに始まり、郷土の食材や基峰鶴を堪能いただきました。
我が町基山の先人たちが培ってきた歴史と文化がまちづくりに生かされる。どこにもない街こそが、「来てみたくなる」街です。基山の地の利は、都市圏に隣接し、鉄道、バスを使って都市圏から20分から30分で来ることができる「田舎」です。都会の人々の心の癒しの場を提供する、そこには基山にしかないモノ(もてなし、物、時間、環境など様々)を感じ、味わい、過ごしていただければいいと思います。何も特別なことは必要ない、基山で培ってきた歴史と文化を、ありのままに出していくことこそ、無理の無い歴史を生かしたまちづくりになるのだと思います。
来年1月中旬には、国土交通大臣、農林水産大臣、文部科学大臣の認定を受けるべく、最終調整に入っています。認定を受けると来年度から松田町長が取り組むまちづくり計画のひとつである、基山の歴史と文化を取り入れた、個性あるまちづくり『基山町歴史的風致維持向上計画』がスタートすることになるでしょう。佐賀県内では、佐賀市に次ぐ2番目の認定になり、九州では9番目の認定となる予定です。

●国土交通省担当官からの講話の様子
(全国で行われている歴史的なまちづくりについて、関係者向けに解説いただきました。)
2018年10月19日
■稲ワラ干し
今週日曜日から木曜日までの5日間、御仮殿の前で来年の荒穂神社の秋の大祭「御神幸祭り」の際に、潮井川とお仮殿、そして座元宅に掲げられるしめ縄の材料となる稲ワラ干しが行われました。
当会からもお手伝いに参画させていただきました。

●お仮殿前に干された稲ワラ
祭りは、ハレの場ですが、そこに至るまでには様々な作業が、下支えとして行われています。稲ワラは、この乾燥が終わると、御仮殿の中で一年間保管され、来年の9月に行われる稲ワラ選り(すぐり)の時を待ちます。
祭りが終わると、今年も終わったと思っていましたが、既に来年の準備が行われていることに驚きと、お世話をしていただいている氏子役員の皆さまに深い感謝の気持ちでいっぱいになりました。
本当にありがとうございます。
また、来年もよろしくお願いいたします。
当会からもお手伝いに参画させていただきました。

●お仮殿前に干された稲ワラ
祭りは、ハレの場ですが、そこに至るまでには様々な作業が、下支えとして行われています。稲ワラは、この乾燥が終わると、御仮殿の中で一年間保管され、来年の9月に行われる稲ワラ選り(すぐり)の時を待ちます。
祭りが終わると、今年も終わったと思っていましたが、既に来年の準備が行われていることに驚きと、お世話をしていただいている氏子役員の皆さまに深い感謝の気持ちでいっぱいになりました。
本当にありがとうございます。
また、来年もよろしくお願いいたします。
2018年10月14日
■園部くんち催行
14日、早朝、園部にある宝満神社にて秋の大祭である園部くんち お下りが催行されました。
すがすがしい秋晴れの中、御祭神である玉依姫命様が黄金に輝く御神輿に乗り、御旅所までお下りされます。

■お下りに先立ち、神社境内を出たところに御幣が置かれます。
道々には、催行者のご家族や、近傍から来られた方々が参集され、秋の大祭を見守られていました。

■お下りの様子【背後に見えるのが、築80年以上といわれる農家住宅】
稲刈りが終わった田んぼへ、「それっ、走れ!」「いけ~っ」の掛け声とともに、挟箱を背負った若人が駆け巡ります。

■田んぼを駆け巡る若人たち
園部くんちの見どころのひとつとも言えます。
午後からのお上りでは、御神酒も入り、皆、「元気」に、勢いよく駆け巡ることでしょう。
御神輿の上から、「あ~、これこれ」と玉依姫命様の微笑むお姿が想像されます。
すがすがしい秋晴れの中、御祭神である玉依姫命様が黄金に輝く御神輿に乗り、御旅所までお下りされます。

■お下りに先立ち、神社境内を出たところに御幣が置かれます。
道々には、催行者のご家族や、近傍から来られた方々が参集され、秋の大祭を見守られていました。

■お下りの様子【背後に見えるのが、築80年以上といわれる農家住宅】
稲刈りが終わった田んぼへ、「それっ、走れ!」「いけ~っ」の掛け声とともに、挟箱を背負った若人が駆け巡ります。

■田んぼを駆け巡る若人たち
園部くんちの見どころのひとつとも言えます。
午後からのお上りでは、御神酒も入り、皆、「元気」に、勢いよく駆け巡ることでしょう。
御神輿の上から、「あ~、これこれ」と玉依姫命様の微笑むお姿が想像されます。
2018年10月13日
■園部くんち
明日、早朝、園部にある宝満神社の秋の大祭、園部くんちが行われます。

●皮籠石集落に建てられた幟
宝満神社の御祭神である玉依姫命さまが、御旅所へ御神幸されます。園部のくんちの始まりは定かではありませんが、江戸時代中期に記された『基肄郡上郷神社記録』には、慶安4年(1651)に再興され、神伽22人で行われたと記されています。
御神幸は、本宮から御旅所までの距離が150mほどと短いものの、大名行列が先導する姿は、稲穂たれる田んぼと、背後にある築80年以上が経過した農家住宅の姿とあいまって、園部の秋の歴史的風致を創り出しています。
早朝、午前7時に氏子の皆さまは、宝満神社に参宮し、午前8時頃から御神幸が始まります。お時間が許されるようでしたら、早朝のお下りを見に行かれては如何でしょうか。

●朝焼けに染まる御旅所に掲げられた幟
同日、午後からは御旅所から本宮へのお上りが始まります。お上りは、また違った姿をみることができます。併せてご覧ください。

●皮籠石集落に建てられた幟
宝満神社の御祭神である玉依姫命さまが、御旅所へ御神幸されます。園部のくんちの始まりは定かではありませんが、江戸時代中期に記された『基肄郡上郷神社記録』には、慶安4年(1651)に再興され、神伽22人で行われたと記されています。
御神幸は、本宮から御旅所までの距離が150mほどと短いものの、大名行列が先導する姿は、稲穂たれる田んぼと、背後にある築80年以上が経過した農家住宅の姿とあいまって、園部の秋の歴史的風致を創り出しています。
早朝、午前7時に氏子の皆さまは、宝満神社に参宮し、午前8時頃から御神幸が始まります。お時間が許されるようでしたら、早朝のお下りを見に行かれては如何でしょうか。

●朝焼けに染まる御旅所に掲げられた幟
同日、午後からは御旅所から本宮へのお上りが始まります。お上りは、また違った姿をみることができます。併せてご覧ください。
2018年10月09日
■「あっ!危ない」・・・逆走?
基山町内の東側を南北に縦断する国道3号。基山(きざん)登山口信号から上町(かみまち)信号の間に差し掛かると、国道3号の下り線側の歩道のさらに外側に一本の舗装道路が走っているのをご存知でしょうか。国道3号を鳥栖方面へ下っていると、左側を「逆走」と見間違えるように上ってくる車を見かけます。

■「えっ、逆走?」「歩道を車が走ってる?」
見様によっては、丸幸ラーメン駐車場への専用道路のように見えますが、国道3号との基山(きざん)登山口交差点には、信号機が設置され、車道として機能していることが分かります。

■基山(きざん)登山口交差点
この道は、実は平成11年に現在の国道3号が拡幅されますが、その前に造られた国道3号の名残なのです。国道3号の歴史は、遡ること明治9年(1876)に江戸時代に造られた長崎街道が、東京日本橋から長崎港までを結ぶ道路として一等道路として認定され、その後、明治18年(1885)に国道4号として指定されます。この国道4号が軍用道路として役割を担わされると、明治20年頃に拡幅され現在の国道3号の原型が造り上げられます。その時の記録が、『梁井幾太郎の生涯』や『六区々有文書』に記されています。その後、大正9年(1920)に国道2号と改称され、路線も東京から鹿児島県庁所在地までが対象となっています。そして、昭和27年(1952)に新道路法が施行され現在の呼称である国道3号になりました。
話を戻すと、旧国道4号、旧国道2号が国道3号に引き継がれ、平成11年に拡幅工事によって現在の姿に変化します。その時、残された旧道路が、今回話題に上げた国道3号東側にある一条の道路なのです。


■上の写真で右端が国道4号、国道2号を引き継いだ国道3号
上町信号から東側へ曲りきやま台団地(10区)に入り込んだところに関屋川と合流した高原川を渡る橋脚が関屋橋として架けられています。この関屋橋は昭和50年に架橋され、その銘板に「旧国道線」として記され、橋を渡る道が旧国道であったことを告げています。

■関屋橋にある銘板

■「えっ、逆走?」「歩道を車が走ってる?」
見様によっては、丸幸ラーメン駐車場への専用道路のように見えますが、国道3号との基山(きざん)登山口交差点には、信号機が設置され、車道として機能していることが分かります。

■基山(きざん)登山口交差点
この道は、実は平成11年に現在の国道3号が拡幅されますが、その前に造られた国道3号の名残なのです。国道3号の歴史は、遡ること明治9年(1876)に江戸時代に造られた長崎街道が、東京日本橋から長崎港までを結ぶ道路として一等道路として認定され、その後、明治18年(1885)に国道4号として指定されます。この国道4号が軍用道路として役割を担わされると、明治20年頃に拡幅され現在の国道3号の原型が造り上げられます。その時の記録が、『梁井幾太郎の生涯』や『六区々有文書』に記されています。その後、大正9年(1920)に国道2号と改称され、路線も東京から鹿児島県庁所在地までが対象となっています。そして、昭和27年(1952)に新道路法が施行され現在の呼称である国道3号になりました。
話を戻すと、旧国道4号、旧国道2号が国道3号に引き継がれ、平成11年に拡幅工事によって現在の姿に変化します。その時、残された旧道路が、今回話題に上げた国道3号東側にある一条の道路なのです。


■上の写真で右端が国道4号、国道2号を引き継いだ国道3号
上町信号から東側へ曲りきやま台団地(10区)に入り込んだところに関屋川と合流した高原川を渡る橋脚が関屋橋として架けられています。この関屋橋は昭和50年に架橋され、その銘板に「旧国道線」として記され、橋を渡る道が旧国道であったことを告げています。

■関屋橋にある銘板