2023年07月31日
■文化遺産ガイドボランティア養成講座 第2講
去る7月27日木曜日、18時30分から基山町文化遺産ガイドボランティア養成講座の第2回目講話が行われました。
文化遺産をガイドするにあたっての基礎的な用語の知識として「文化遺産」と「文化財」についての講話と、来月にはいよいよフィールドへと出るための第3回目に行うフィールドワークについて、諸注意や昨今の熱中症対策についての説明が行われました。
特にガイドするにあたって基礎的な事柄、例えば基山町内にある隼鷹天神社をはじめとする天神社の御祭神が「菅原道真公」との誤った解説や、基肄城の歴史的な位置づけについての思い込み解説につながらないようにガイド養成講座はあります。その根幹ともいえ、何気なく使っている「文化遺産」「文化財」についての考え方に関する講話を、わが国の近代において芽生えてくる「文化財保護」の歴史から文化庁の考え、そして世界遺産までの考えを交えて解説が行われました。

また、来月、8月26日(土)午前8時から始める「気になるモノ」集めフィールドワークについて、収集される文化遺産について、①自分の興味に素直に従う。②他人の評価は気にしない。③他の人の「想い」を否定・評価しない。④ネット情報に頼るのも一つの方法、ただし鵜呑みにしない。の4つの約束を示し、併せて昨今の熱中症対策についての留意点が話されています。
いよいよ、我が町の文化遺産ガイドボランティア養成講座に集った皆さんが集める、皆さんだけの文化遺産。それは此処基山に来ないと見ることも、聞くことも、感じることもできない、我が町基山の個性と言えます。
基山の個性を、此処に来てくださる来訪者の皆さま、そして何よりここにお住まいの住民の皆さまに伝える役割を担う文化遺産ガイドボランティアの一員として、自らの感受性を信じ、そして育て、「自分自身」の興味のまま見つけていってください。
それが、令和5年に私たちの眼の前にある事物を記録していくことにもつながります。
文化遺産をガイドするにあたっての基礎的な用語の知識として「文化遺産」と「文化財」についての講話と、来月にはいよいよフィールドへと出るための第3回目に行うフィールドワークについて、諸注意や昨今の熱中症対策についての説明が行われました。
特にガイドするにあたって基礎的な事柄、例えば基山町内にある隼鷹天神社をはじめとする天神社の御祭神が「菅原道真公」との誤った解説や、基肄城の歴史的な位置づけについての思い込み解説につながらないようにガイド養成講座はあります。その根幹ともいえ、何気なく使っている「文化遺産」「文化財」についての考え方に関する講話を、わが国の近代において芽生えてくる「文化財保護」の歴史から文化庁の考え、そして世界遺産までの考えを交えて解説が行われました。

また、来月、8月26日(土)午前8時から始める「気になるモノ」集めフィールドワークについて、収集される文化遺産について、①自分の興味に素直に従う。②他人の評価は気にしない。③他の人の「想い」を否定・評価しない。④ネット情報に頼るのも一つの方法、ただし鵜呑みにしない。の4つの約束を示し、併せて昨今の熱中症対策についての留意点が話されています。
いよいよ、我が町の文化遺産ガイドボランティア養成講座に集った皆さんが集める、皆さんだけの文化遺産。それは此処基山に来ないと見ることも、聞くことも、感じることもできない、我が町基山の個性と言えます。
基山の個性を、此処に来てくださる来訪者の皆さま、そして何よりここにお住まいの住民の皆さまに伝える役割を担う文化遺産ガイドボランティアの一員として、自らの感受性を信じ、そして育て、「自分自身」の興味のまま見つけていってください。
それが、令和5年に私たちの眼の前にある事物を記録していくことにもつながります。
2023年07月31日
■第7回きやま創作劇をふか〜く知る(その3)
■久保山善映先生の想い(その2)
事の発端は、大正2年(1913)7月の東京帝国大学教授で建築史学者であった関野貞博士によって、日本書紀天智天皇4年秋8月条に記される「椽城(基肄城)」が、佐賀県三養基郡基山村(大正2年当時)の基(肄)山(きざん)にあると断定されます。そのことを受け、久保山先生は大正4年(1915)に大正天皇御大典奉祝佐賀県教育品展覧会にて基肄城を略図、写真、出土古瓦、焼き米などを展示し説明されています。
さらに肥前史談会発刊の「肥前史談」紙面において「基肄城に就きて」を発表し、大正8年(1919)6月1日から施行された「史蹟名勝天然紀念物保存法」を受け各県で取り組まれた史蹟調査報告書である「佐賀県史蹟名勝天然紀念物調査報告第一輯」の中で「基肄城址」を報告されています。
そのような中、大正10年(1921)3月3日には、「太宰府阯」「水城阯」が国の第一類(国家的なもの)の史蹟指定を受け、大正11年(1922)8月に史蹟石標が二つの史蹟に建てられます。

【左:「太宰府阯石標 右:水城阯石標】
なぜか、大正13年に史蹟指定前ながら基肄城跡の5箇所に遺構を説明するように佐賀県によって石標が建てられ、「太宰府阯」「水城阯」の石標建立に刺激を受けたかのような印象を受けます。

【『基山町歴史的風致維持向上計画』より抽出】
この頃からおそらく久保山先生の中では、基肄城の史蹟指定が頭の中に目指すべきものとして大きく広がっていったと想像できます。
※古代の役所である「だざいふ」は「大宰府」、中世以降現代の呼称は「太宰府」と使い分けていますが、大正時代では「大宰府」「太宰府」の使い分けがなされていなかったことが分かります。
事の発端は、大正2年(1913)7月の東京帝国大学教授で建築史学者であった関野貞博士によって、日本書紀天智天皇4年秋8月条に記される「椽城(基肄城)」が、佐賀県三養基郡基山村(大正2年当時)の基(肄)山(きざん)にあると断定されます。そのことを受け、久保山先生は大正4年(1915)に大正天皇御大典奉祝佐賀県教育品展覧会にて基肄城を略図、写真、出土古瓦、焼き米などを展示し説明されています。
さらに肥前史談会発刊の「肥前史談」紙面において「基肄城に就きて」を発表し、大正8年(1919)6月1日から施行された「史蹟名勝天然紀念物保存法」を受け各県で取り組まれた史蹟調査報告書である「佐賀県史蹟名勝天然紀念物調査報告第一輯」の中で「基肄城址」を報告されています。
そのような中、大正10年(1921)3月3日には、「太宰府阯」「水城阯」が国の第一類(国家的なもの)の史蹟指定を受け、大正11年(1922)8月に史蹟石標が二つの史蹟に建てられます。


【左:「太宰府阯石標 右:水城阯石標】
なぜか、大正13年に史蹟指定前ながら基肄城跡の5箇所に遺構を説明するように佐賀県によって石標が建てられ、「太宰府阯」「水城阯」の石標建立に刺激を受けたかのような印象を受けます。

【『基山町歴史的風致維持向上計画』より抽出】
この頃からおそらく久保山先生の中では、基肄城の史蹟指定が頭の中に目指すべきものとして大きく広がっていったと想像できます。
※古代の役所である「だざいふ」は「大宰府」、中世以降現代の呼称は「太宰府」と使い分けていますが、大正時代では「大宰府」「太宰府」の使い分けがなされていなかったことが分かります。
2023年07月30日
■第7回きやま創作劇をふか〜く知る(その2)
■久保山善映先生の想い(その1)
久保山善映先生の想いをすべて知ることは至難ですが、「基山(きざん)狂い」と当時呼称され基肄城研究にまい進された原点ともいえる言葉が、昭和5年(1930)に刊行された『肥前史談』第3巻第5号に記されています。
「然るに斯様に重要な地(基肄城)が我々特に舊鍋島藩其他の人士へ没交渉であったのは、全くこの名所が筑前から奪取されていたからである。否我々は此の地に住んでいながら奪取されたことさへ知らなかったのである。背振山争奪にはあれ程の腰でやりながら、餘呆気ない様であるが、此の地が従来宗氏の領地で、代官を派遣して年貢の徴集には随分努力した様だが、史蹟の研究などと云う方面には風馬牛であったらしい。【「風場牛」:自分とは何の関係もないこと。( )は、筆者加筆】」
(久保山善映(1930)「基山の史蹟につきて 敢て縣人の一考を煩す」『肥前史談』第3巻第5号)

【左:久保山善映先生 右:『肥前史談』第3巻第5号掲載文】
左写真出典:『肥前史談』第12巻第6号巻頭写真
我が町基山の江戸時代は、対馬藩領であったことは、これまで本ブログでも記してきましたが、久保山先生は敢えて「対馬藩にとって年貢徴集の場としての基山であって、当地の史蹟には関心がなかった」と表現されるとともに、最も残念なこととして「否我々は此の地に住んでいながら(筑前から)奪取されたことさへ知らなかったのである。【( )は、筆者加筆】」として基肄城がある基山に住む者が知らなかったという嘆きの言葉を記されています。
【「對州領」と記す今も遺る二国境石標】
ここに、「天智天皇欽仰之碑」建造へ取り組まれた原点、エネルギーの源泉を見ることができます。
では、基山に住む者、佐賀に住む者に基肄城を知ってもらうために取り組まれた道のりとは何だったのでしょう。
まさに「この道は 基肄城を基肄城とならしむる時」の道のりでした。
※「脊振山争奪」:江戸時代元和・貞享・元禄年間において筑前黒田藩と肥前鍋島藩の間で争われた脊振山を境とする国境争論を指しています。
久保山善映先生の想いをすべて知ることは至難ですが、「基山(きざん)狂い」と当時呼称され基肄城研究にまい進された原点ともいえる言葉が、昭和5年(1930)に刊行された『肥前史談』第3巻第5号に記されています。
「然るに斯様に重要な地(基肄城)が我々特に舊鍋島藩其他の人士へ没交渉であったのは、全くこの名所が筑前から奪取されていたからである。否我々は此の地に住んでいながら奪取されたことさへ知らなかったのである。背振山争奪にはあれ程の腰でやりながら、餘呆気ない様であるが、此の地が従来宗氏の領地で、代官を派遣して年貢の徴集には随分努力した様だが、史蹟の研究などと云う方面には風馬牛であったらしい。【「風場牛」:自分とは何の関係もないこと。( )は、筆者加筆】」
(久保山善映(1930)「基山の史蹟につきて 敢て縣人の一考を煩す」『肥前史談』第3巻第5号)


【左:久保山善映先生 右:『肥前史談』第3巻第5号掲載文】
左写真出典:『肥前史談』第12巻第6号巻頭写真
我が町基山の江戸時代は、対馬藩領であったことは、これまで本ブログでも記してきましたが、久保山先生は敢えて「対馬藩にとって年貢徴集の場としての基山であって、当地の史蹟には関心がなかった」と表現されるとともに、最も残念なこととして「否我々は此の地に住んでいながら(筑前から)奪取されたことさへ知らなかったのである。【( )は、筆者加筆】」として基肄城がある基山に住む者が知らなかったという嘆きの言葉を記されています。

ここに、「天智天皇欽仰之碑」建造へ取り組まれた原点、エネルギーの源泉を見ることができます。
では、基山に住む者、佐賀に住む者に基肄城を知ってもらうために取り組まれた道のりとは何だったのでしょう。
まさに「この道は 基肄城を基肄城とならしむる時」の道のりでした。
※「脊振山争奪」:江戸時代元和・貞享・元禄年間において筑前黒田藩と肥前鍋島藩の間で争われた脊振山を境とする国境争論を指しています。
2023年07月29日
■第7回きやま創作劇をふか〜く知る(その1)
■第7回きやま創作劇『この道は』をふか〜く知る(その1)
これまで小出しではありますが、第7回きやま創作劇「この道は 〜基肄城が基肄城とならしむる時〜」の舞台は、我が町基山の宝である特別史跡基肄城跡であり、基肄城跡がある基山(きざん)山頂に築かれた天智天皇欽仰之碑や通天洞、そして基礎のみ遺されている展望所が造られた物語であることをお伝えしてきました。

【基山(きざん)に建つ天智天皇欽仰之碑】
取り上げた素材に「天智天皇欽仰之碑」という、文字通り「天智天皇を仰ぎ見る碑」として捉えられる碑があります。築造年が昭和7年(1932)6月10日着工、昭和8年(1933)6月10日竣工という、時は日本の近代末期、近代天皇制が色濃く社会を覆っていた時代の出来事でした。
このことだけを見ると、まさに時の歴史観である皇国史観の象徴的な建造物であり、戦前の社会体制を美化する創作劇として、第7回きやま創作劇「この道は」は誤解を生む可能性を大きくはらんでいます。
しかし、基山(きざん)にある基肄城跡を世の中に知らせ、国の史蹟にもっていった久保山善映先生が遺された記録を紐解くと、歴史の「実相」が見えてきます。
日本の近代末期という社会が持っていた価値観を背負いつつ、必死になって取り組まれた久保山善映先生の取組を紹介することで、「天智天皇欽仰之碑」は、けっして皇国史観の象徴的な建造物ではなく、世の人々に、特に基山に住む人々に日本古代の記録「日本書紀」にも登場する城跡があるということを伝えたかった熱い想いの象徴であったことをお伝えします。そして何よりも、第7回きやま創作劇「この道は」を通して、再び今を生きる基山の皆さんに歴史に遺る特別史跡基肄城跡であることを伝えます。
※用語
皇国史観:「古事記」「日本書紀」に基づく天皇の神性を根拠とし、天皇中心の国家体制の発展を考慮した歴史観。
「史蹟」「紀念」「阯」「址」:日本の近代社会において用いられている用語
「史跡」「記念」:現代の日本において用いられている用語 として、これから使い分けて記していきます。
これまで小出しではありますが、第7回きやま創作劇「この道は 〜基肄城が基肄城とならしむる時〜」の舞台は、我が町基山の宝である特別史跡基肄城跡であり、基肄城跡がある基山(きざん)山頂に築かれた天智天皇欽仰之碑や通天洞、そして基礎のみ遺されている展望所が造られた物語であることをお伝えしてきました。

【基山(きざん)に建つ天智天皇欽仰之碑】
取り上げた素材に「天智天皇欽仰之碑」という、文字通り「天智天皇を仰ぎ見る碑」として捉えられる碑があります。築造年が昭和7年(1932)6月10日着工、昭和8年(1933)6月10日竣工という、時は日本の近代末期、近代天皇制が色濃く社会を覆っていた時代の出来事でした。
このことだけを見ると、まさに時の歴史観である皇国史観の象徴的な建造物であり、戦前の社会体制を美化する創作劇として、第7回きやま創作劇「この道は」は誤解を生む可能性を大きくはらんでいます。
しかし、基山(きざん)にある基肄城跡を世の中に知らせ、国の史蹟にもっていった久保山善映先生が遺された記録を紐解くと、歴史の「実相」が見えてきます。
日本の近代末期という社会が持っていた価値観を背負いつつ、必死になって取り組まれた久保山善映先生の取組を紹介することで、「天智天皇欽仰之碑」は、けっして皇国史観の象徴的な建造物ではなく、世の人々に、特に基山に住む人々に日本古代の記録「日本書紀」にも登場する城跡があるということを伝えたかった熱い想いの象徴であったことをお伝えします。そして何よりも、第7回きやま創作劇「この道は」を通して、再び今を生きる基山の皆さんに歴史に遺る特別史跡基肄城跡であることを伝えます。
※用語
皇国史観:「古事記」「日本書紀」に基づく天皇の神性を根拠とし、天皇中心の国家体制の発展を考慮した歴史観。
「史蹟」「紀念」「阯」「址」:日本の近代社会において用いられている用語
「史跡」「記念」:現代の日本において用いられている用語 として、これから使い分けて記していきます。
2023年07月23日
■きやま創作劇宣伝隊繰り出す!
昨日(7月22日)行われた「第36回きのくに祭り」において、当会も参画している「きやま創作劇」宣伝隊がパレード参加いたしました。

これまでお伝えしてきましたように、今年の創作劇は、基肄城顕彰建造物竣工90周年の年であり、基肄城築造の歴史を伝える「こころつないで」とは異なった視点で、基肄城が、我が町基山にあることを多くの人々に伝え、国の史蹟に押し上げた久保山善映先生の偉業を取り上げ、『この道は 〜基肄城が基肄城とならしむる時〜』と題して公演します。
晴天に恵まれ暑い(熱い)中ではありましたが、「今年は基肄城」と題してパネル化して会場をパレードし、きやま創作劇を宣伝しています。
また、この地域の「伝統」である、事の始めに執り行う「小屋入り」も行い、12月の公演まで何事もなく行えるよう、「御神酒」ならぬ麦酒で無事を願いました。

暑い(熱い)中、パレードに参加していただいた皆さん、お疲れさまでした。そしてありがとうございました。


これまでお伝えしてきましたように、今年の創作劇は、基肄城顕彰建造物竣工90周年の年であり、基肄城築造の歴史を伝える「こころつないで」とは異なった視点で、基肄城が、我が町基山にあることを多くの人々に伝え、国の史蹟に押し上げた久保山善映先生の偉業を取り上げ、『この道は 〜基肄城が基肄城とならしむる時〜』と題して公演します。
晴天に恵まれ暑い(熱い)中ではありましたが、「今年は基肄城」と題してパネル化して会場をパレードし、きやま創作劇を宣伝しています。
また、この地域の「伝統」である、事の始めに執り行う「小屋入り」も行い、12月の公演まで何事もなく行えるよう、「御神酒」ならぬ麦酒で無事を願いました。


暑い(熱い)中、パレードに参加していただいた皆さん、お疲れさまでした。そしてありがとうございました。
2023年07月16日
■第6回通常総会開催
昨日(7月15日)午後3時から、基山町民会館1階会議室にて、第6回通常総会を開催いたしました。当初、7月1日開催を予定しておりましたが、梅雨末期の大雨にみまわれ、やむを得ず15日に延期したところです。

【通常総会の様子】
5つの議案を提案し、全会員一致でご承認いただき、令和4年度を終了し、令和5年度へ進んでまいります。また、基山の歴史と文化を語り継いでいく、志を同じくする連携団体の皆さまと一緒に進んでいくために、活動のための「源泉」をみんなで使っていくことも提案し承認を得ました。

これからは、志を同じくする多くの仲間とともに、基山の歴史と文化を多世代の住民の皆さまはもとより、来訪者の方々へ語り継ぎ、どこにもない基山の個性を語り創っていきます。
忙しい中、ご参集いただきました会員の皆さま、またご都合がつかず委任状をご提出いただいた皆さま、お時間をいただきましたこと感謝申し上げます。
今後は通常総会開催日を7月中旬に定例化していきたいと思いますので、ご予定のほどよろしくお願いいたします。ちなみに来年は7月13日(土)〜15日(月)、もしくは7月20日(土)ごろになります。
併せて、第1回基山の歴史と文化を語り継ぐ会懇親会も開催いたしました。ご参集いただいた皆さまと様々なことを語り合い、次へのエネルギーをいただきました。こちらもご参集くださいました皆さま、ありがとうございました。

【通常総会の様子】
5つの議案を提案し、全会員一致でご承認いただき、令和4年度を終了し、令和5年度へ進んでまいります。また、基山の歴史と文化を語り継いでいく、志を同じくする連携団体の皆さまと一緒に進んでいくために、活動のための「源泉」をみんなで使っていくことも提案し承認を得ました。

これからは、志を同じくする多くの仲間とともに、基山の歴史と文化を多世代の住民の皆さまはもとより、来訪者の方々へ語り継ぎ、どこにもない基山の個性を語り創っていきます。
忙しい中、ご参集いただきました会員の皆さま、またご都合がつかず委任状をご提出いただいた皆さま、お時間をいただきましたこと感謝申し上げます。
今後は通常総会開催日を7月中旬に定例化していきたいと思いますので、ご予定のほどよろしくお願いいたします。ちなみに来年は7月13日(土)〜15日(月)、もしくは7月20日(土)ごろになります。
併せて、第1回基山の歴史と文化を語り継ぐ会懇親会も開催いたしました。ご参集いただいた皆さまと様々なことを語り合い、次へのエネルギーをいただきました。こちらもご参集くださいました皆さま、ありがとうございました。
タグ :第6回通常総会
2023年07月08日
■第7回きやま創作劇
まもなく全貌が公開
タイトルは、「この道は 〜 基肄城が基肄城とならしむる時 〜」
これまで、きやま創作劇では、我が町基山にある特別史跡基肄城跡を、基山小中学校合同創作劇「こころつないで」、第4回きやま創作劇「こころつないで」において、基肄城築造の物語として描いてきました。
令和5年度は、これまで本ブログにて紹介してきましたように、基肄城跡顕彰建造物竣工90周年記念の年であり、また特別史跡指定70周年の記念する年度です。
そこで、当会が参画しているきやま創作劇実行委員会としても、現在、町立図書館 郷土資料コーナーにて関係する企画展が開催され、併せて今秋と来年の3月20日の特別史跡指定記念の日に行われる予定である基山(きざん)ウォーキングなどの関連するイベントが、基山町教育委員会で組まれることもあり、統一的な取組とすべく、基肄城跡を史跡に押し上げた久保山善映先生や、顕彰建造物を「オール基山」「オール佐賀」で取り組んだ足跡を物語として編み、創作劇として取り組むことといたしました。

「基肄城が造られた物語」から視点を変えて「基肄城を基肄城跡として世の中に伝えた物語」を、集ってくださる皆さんと創り上げていきます。
今年も未だ「新型コロナウィルス感染症」が終息に至っていません。
参画していただく皆さまの「自己管理」が必須です。自立・自律した行動を心よりお願いいたします。
では、新たな出会いと新たな「物語」への想いを皆で分かち合い、12月10日の公演へむけて共に進んでいきましょう。

※きやま創作劇へ参加申込みは、きやまWEBの駅内の「きやま創作劇実行委員会」頁をごらんください。
タイトルは、「この道は 〜 基肄城が基肄城とならしむる時 〜」
これまで、きやま創作劇では、我が町基山にある特別史跡基肄城跡を、基山小中学校合同創作劇「こころつないで」、第4回きやま創作劇「こころつないで」において、基肄城築造の物語として描いてきました。
令和5年度は、これまで本ブログにて紹介してきましたように、基肄城跡顕彰建造物竣工90周年記念の年であり、また特別史跡指定70周年の記念する年度です。
そこで、当会が参画しているきやま創作劇実行委員会としても、現在、町立図書館 郷土資料コーナーにて関係する企画展が開催され、併せて今秋と来年の3月20日の特別史跡指定記念の日に行われる予定である基山(きざん)ウォーキングなどの関連するイベントが、基山町教育委員会で組まれることもあり、統一的な取組とすべく、基肄城跡を史跡に押し上げた久保山善映先生や、顕彰建造物を「オール基山」「オール佐賀」で取り組んだ足跡を物語として編み、創作劇として取り組むことといたしました。


「基肄城が造られた物語」から視点を変えて「基肄城を基肄城跡として世の中に伝えた物語」を、集ってくださる皆さんと創り上げていきます。
今年も未だ「新型コロナウィルス感染症」が終息に至っていません。
参画していただく皆さまの「自己管理」が必須です。自立・自律した行動を心よりお願いいたします。
では、新たな出会いと新たな「物語」への想いを皆で分かち合い、12月10日の公演へむけて共に進んでいきましょう。

※きやま創作劇へ参加申込みは、きやまWEBの駅内の「きやま創作劇実行委員会」頁をごらんください。
2023年07月04日
■特別史跡指定70周年(結び)
わが町の宝の一つである基肄城跡が、特別史跡に指定され来年3月20日で70周年を迎えることは、これまでお伝えしてきました。振り返りとして、基肄城跡ほか、関係する特別史跡の指定年月日を一覧にまとめましたので、参考にしてください。

また、昭和25年の文化財保護法制定の中で、二段階指定制度として施行され、昭和27年3月29日に26件の特別史跡が指定されています。この二段階指定の経緯は、「法制定当時の国の財政力や戦前の放漫な保護のあり方に対する反省」があったようです。
基肄城跡が特別史跡に指定された年に、同時に指定された特別史跡は昭和29年10月の官報告示に記されているように「大谷磨崖仏、多胡碑、山上碑及び古墳、金井沢碑、旧閑谷学校」で、奈良時代の作とされる大谷磨崖仏【宇都宮市】、和銅4年(711)に上野国多胡郡設置の記念碑【高崎市】、天武天皇10年(681)に僧長利が母の供養のために建てた山上碑、神亀3年(726)に先祖供養と一族繁栄のために建てた金井沢碑【高崎市】、寛文10年(1670)に岡山藩主池田光政によって開校された旧閑谷(しずたに)学校など、「4.学校、研究施設、文化施設その他教育・学術・文化に関する遺跡」「7.墳墓及び碑」に分類される史跡に併せて、「2.都城跡、国郡庁、城跡、官公庁、戦跡その他政治に関する遺跡」である基肄城跡が特別史跡に指定されています。
現在は、特別史跡63件、史跡1,888件で史跡総数1,951件の約3%が特別史跡として指定されています。【文化庁HP R05.7.1現在】
我が国文化財の中の不動産部門ともいえる史跡、その中でも特別史跡は有形文化財の国宝に相当する位置付けがなされています。

【左:史蹟指定石標 右:特別史跡石標】
この特別史跡基肄城跡をどのように保存し活用していくのかは、国任せ、県任せ、町任せではいつまでたっても今のままです。佐賀県の他の二つの特別史跡が国・県によって「手厚く」取り組まれたのであれば、我が町基山の特別史跡は、天智天皇欽仰之碑などの顕彰碑が、我が町基山の先人たちが「できることを持ち寄って」建てたように、町民皆が「できることを持ち寄って※1」、保存し活用した特別史跡として取り組んでいくのも顕彰建造物を90年前に建てた先人たちの歩みに習うことなのかもしれません。
もし、行政依存ではなく官民連携にて実践したならば、恐らく全国の特別史跡の保存と活用の実践例としては、先頭を走ることになります。
※1:国・県・町の文化財行政の力を借りないということではありません。町民ができることの中には国会議員さん、県議さん、町議さん、そして基山の町長さんなど様々な方も含まれます。それぞれのお立場で「できることを持ち寄って」いただければ、様々なことができるのではないかと思います。

また、昭和25年の文化財保護法制定の中で、二段階指定制度として施行され、昭和27年3月29日に26件の特別史跡が指定されています。この二段階指定の経緯は、「法制定当時の国の財政力や戦前の放漫な保護のあり方に対する反省」があったようです。
基肄城跡が特別史跡に指定された年に、同時に指定された特別史跡は昭和29年10月の官報告示に記されているように「大谷磨崖仏、多胡碑、山上碑及び古墳、金井沢碑、旧閑谷学校」で、奈良時代の作とされる大谷磨崖仏【宇都宮市】、和銅4年(711)に上野国多胡郡設置の記念碑【高崎市】、天武天皇10年(681)に僧長利が母の供養のために建てた山上碑、神亀3年(726)に先祖供養と一族繁栄のために建てた金井沢碑【高崎市】、寛文10年(1670)に岡山藩主池田光政によって開校された旧閑谷(しずたに)学校など、「4.学校、研究施設、文化施設その他教育・学術・文化に関する遺跡」「7.墳墓及び碑」に分類される史跡に併せて、「2.都城跡、国郡庁、城跡、官公庁、戦跡その他政治に関する遺跡」である基肄城跡が特別史跡に指定されています。
現在は、特別史跡63件、史跡1,888件で史跡総数1,951件の約3%が特別史跡として指定されています。【文化庁HP R05.7.1現在】
我が国文化財の中の不動産部門ともいえる史跡、その中でも特別史跡は有形文化財の国宝に相当する位置付けがなされています。


【左:史蹟指定石標 右:特別史跡石標】
この特別史跡基肄城跡をどのように保存し活用していくのかは、国任せ、県任せ、町任せではいつまでたっても今のままです。佐賀県の他の二つの特別史跡が国・県によって「手厚く」取り組まれたのであれば、我が町基山の特別史跡は、天智天皇欽仰之碑などの顕彰碑が、我が町基山の先人たちが「できることを持ち寄って」建てたように、町民皆が「できることを持ち寄って※1」、保存し活用した特別史跡として取り組んでいくのも顕彰建造物を90年前に建てた先人たちの歩みに習うことなのかもしれません。
もし、行政依存ではなく官民連携にて実践したならば、恐らく全国の特別史跡の保存と活用の実践例としては、先頭を走ることになります。
※1:国・県・町の文化財行政の力を借りないということではありません。町民ができることの中には国会議員さん、県議さん、町議さん、そして基山の町長さんなど様々な方も含まれます。それぞれのお立場で「できることを持ち寄って」いただければ、様々なことができるのではないかと思います。
2023年07月02日
■「旅立った」仲間を偲ぶ
昨日(7月1日)、昨年の11月に、突然、私たちの前から遠い・遠い彼岸に旅立った仲間を偲ぶ会を「しめやか」に執り行いました。
【献杯!】
思い起こせば、20年近く前から我が町基山の歴史や文化を住民のみならず多くの人々に伝えるために官民協働の取組を共に進めてきた仲間です。
民間主導で始めた基山町史編さん事業成果「きやま展」や、官民協働の取組として「発見!きやまの歴史」「観音さまになったお姫様」紙芝居制作、きやま創作劇、文化遺産ガイドボランティア養成など、多くの取組を官側で支えてくれました。

【子どもワークショップ時に基肄城を「熱く」解説】
民間側の異常な盛り上がりを冷静に観察し、時に「碇石」のごとく立ち止まらせ、考えさせる、そんな「力」を醸し出す方でした。
先月10日には、天智天皇欽仰之碑の前で、午前6時10分に記念写真を撮りました。
撮影の時に、無風だったにも関わらず、お写真が「はにかむ」ように「パタン」と倒れた時には、「なんしょっと・・・」と思わず叫んでしまいました。きっと、恥ずかしかったのかなと思います。
今も、どこかで私たちを見守ってくれているの「カ・モ」しれません。
私(たち)と「無理やり」だったかもしれませんが、一緒に歩んでくれて、ありがとうございました。
もう、「無茶なこと」は言いませんから、「ゆっくり・自由」に基山(きざん)の空だけじゃなく、広い世界を飛び回ってください。
■ 合掌 ■

思い起こせば、20年近く前から我が町基山の歴史や文化を住民のみならず多くの人々に伝えるために官民協働の取組を共に進めてきた仲間です。
民間主導で始めた基山町史編さん事業成果「きやま展」や、官民協働の取組として「発見!きやまの歴史」「観音さまになったお姫様」紙芝居制作、きやま創作劇、文化遺産ガイドボランティア養成など、多くの取組を官側で支えてくれました。
【子どもワークショップ時に基肄城を「熱く」解説】
民間側の異常な盛り上がりを冷静に観察し、時に「碇石」のごとく立ち止まらせ、考えさせる、そんな「力」を醸し出す方でした。
先月10日には、天智天皇欽仰之碑の前で、午前6時10分に記念写真を撮りました。
撮影の時に、無風だったにも関わらず、お写真が「はにかむ」ように「パタン」と倒れた時には、「なんしょっと・・・」と思わず叫んでしまいました。きっと、恥ずかしかったのかなと思います。
今も、どこかで私たちを見守ってくれているの「カ・モ」しれません。
私(たち)と「無理やり」だったかもしれませんが、一緒に歩んでくれて、ありがとうございました。
もう、「無茶なこと」は言いませんから、「ゆっくり・自由」に基山(きざん)の空だけじゃなく、広い世界を飛び回ってください。
