2023年07月29日
■第7回きやま創作劇をふか〜く知る(その1)
■第7回きやま創作劇『この道は』をふか〜く知る(その1)
これまで小出しではありますが、第7回きやま創作劇「この道は 〜基肄城が基肄城とならしむる時〜」の舞台は、我が町基山の宝である特別史跡基肄城跡であり、基肄城跡がある基山(きざん)山頂に築かれた天智天皇欽仰之碑や通天洞、そして基礎のみ遺されている展望所が造られた物語であることをお伝えしてきました。

【基山(きざん)に建つ天智天皇欽仰之碑】
取り上げた素材に「天智天皇欽仰之碑」という、文字通り「天智天皇を仰ぎ見る碑」として捉えられる碑があります。築造年が昭和7年(1932)6月10日着工、昭和8年(1933)6月10日竣工という、時は日本の近代末期、近代天皇制が色濃く社会を覆っていた時代の出来事でした。
このことだけを見ると、まさに時の歴史観である皇国史観の象徴的な建造物であり、戦前の社会体制を美化する創作劇として、第7回きやま創作劇「この道は」は誤解を生む可能性を大きくはらんでいます。
しかし、基山(きざん)にある基肄城跡を世の中に知らせ、国の史蹟にもっていった久保山善映先生が遺された記録を紐解くと、歴史の「実相」が見えてきます。
日本の近代末期という社会が持っていた価値観を背負いつつ、必死になって取り組まれた久保山善映先生の取組を紹介することで、「天智天皇欽仰之碑」は、けっして皇国史観の象徴的な建造物ではなく、世の人々に、特に基山に住む人々に日本古代の記録「日本書紀」にも登場する城跡があるということを伝えたかった熱い想いの象徴であったことをお伝えします。そして何よりも、第7回きやま創作劇「この道は」を通して、再び今を生きる基山の皆さんに歴史に遺る特別史跡基肄城跡であることを伝えます。
※用語
皇国史観:「古事記」「日本書紀」に基づく天皇の神性を根拠とし、天皇中心の国家体制の発展を考慮した歴史観。
「史蹟」「紀念」「阯」「址」:日本の近代社会において用いられている用語
「史跡」「記念」:現代の日本において用いられている用語 として、これから使い分けて記していきます。
これまで小出しではありますが、第7回きやま創作劇「この道は 〜基肄城が基肄城とならしむる時〜」の舞台は、我が町基山の宝である特別史跡基肄城跡であり、基肄城跡がある基山(きざん)山頂に築かれた天智天皇欽仰之碑や通天洞、そして基礎のみ遺されている展望所が造られた物語であることをお伝えしてきました。

【基山(きざん)に建つ天智天皇欽仰之碑】
取り上げた素材に「天智天皇欽仰之碑」という、文字通り「天智天皇を仰ぎ見る碑」として捉えられる碑があります。築造年が昭和7年(1932)6月10日着工、昭和8年(1933)6月10日竣工という、時は日本の近代末期、近代天皇制が色濃く社会を覆っていた時代の出来事でした。
このことだけを見ると、まさに時の歴史観である皇国史観の象徴的な建造物であり、戦前の社会体制を美化する創作劇として、第7回きやま創作劇「この道は」は誤解を生む可能性を大きくはらんでいます。
しかし、基山(きざん)にある基肄城跡を世の中に知らせ、国の史蹟にもっていった久保山善映先生が遺された記録を紐解くと、歴史の「実相」が見えてきます。
日本の近代末期という社会が持っていた価値観を背負いつつ、必死になって取り組まれた久保山善映先生の取組を紹介することで、「天智天皇欽仰之碑」は、けっして皇国史観の象徴的な建造物ではなく、世の人々に、特に基山に住む人々に日本古代の記録「日本書紀」にも登場する城跡があるということを伝えたかった熱い想いの象徴であったことをお伝えします。そして何よりも、第7回きやま創作劇「この道は」を通して、再び今を生きる基山の皆さんに歴史に遺る特別史跡基肄城跡であることを伝えます。
※用語
皇国史観:「古事記」「日本書紀」に基づく天皇の神性を根拠とし、天皇中心の国家体制の発展を考慮した歴史観。
「史蹟」「紀念」「阯」「址」:日本の近代社会において用いられている用語
「史跡」「記念」:現代の日本において用いられている用語 として、これから使い分けて記していきます。
■令和6年度基肄城関連事業終了
■『基肄城を未来へつなぐ』企画展 開催中
令和6年度きやま創作劇『永遠(トワ)に君思う』始まり!
■令和5年度歴史散歩開催
■第7回きやま創作劇「むすび」の会
■「第15回きやま展」展示替え
■『基肄城を未来へつなぐ』企画展 開催中
令和6年度きやま創作劇『永遠(トワ)に君思う』始まり!
■令和5年度歴史散歩開催
■第7回きやま創作劇「むすび」の会
■「第15回きやま展」展示替え