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Posted by さがファンブログ事務局  at 

2017年07月30日

スロージョギングに文化遺産ガイドで参加!

 7月29日(土)、基山町主催のスロージョギング体験イベントに協働参画し、スロージョギングを楽しみながら、木山口町の文化遺産ガイドを行いました。参加された20名の皆さまは、日頃からスロージョギングを楽しんでおられる方々ばかりで、ついて行くのが精一杯でしたが、基肄かたろう会メンバーによる文化遺産ガイドに聞き入っていただいているお姿にエネルギーをいただき、なんとか完走できました。


 歴史散歩系イベントに参加される方々とは異なる広がりを持たせる良い機会を与えていただくとともに、目的を異にする方々向けへのガイドに一層磨きをかけなければいけないという目標を与えていただいた、基山町まちづくり課の皆さんに感謝いたします。


■ガイドの様子

 参加された皆さん、お疲れ様でした。
  


Posted by 基山の歴史と文化を語り継ぐ会  at 08:17Comments(0)活動・報告日記

2017年07月29日

第2回きやま創作劇「八ツ並の姫」配役決定!

 本日午前、第2回きやま創作劇「八ツ並の姫 観音様になったお姫様」の配役が決定され、総指揮者である福永さんの最終確認の後、発表が行われました。


 「希望通り!」「希望がかなわなかった」

 劇に対する真摯な熱情とともに、個性が持つ力(話術、雰囲気、姿勢)と劇が持つ「姿」が合わさって、聴衆に感動を与えます。個性を出しすぎてもまとまりのないものになり、出さなさ過ぎても特徴のない「平板」な物語になる。これら様々な要素を生かし(活かし)創り上げていく総指揮者の苦難は計り知れません。
 与えられた役を熟(こな)していくこと、字のごとく熟(じゅく)していく自らの新たな姿に、多様な「自分」を見つけるよい機会にもなります。
 真っ新な「自分」というカンバス(CANVAS)に、総指揮者である福永さんが色を与えていくかのごとく、役者の皆さん、新たな自分見つけを劇で実現していってください。それも、劇の持つ「力」だと思います。

 さぁ、役も見えてきました。自らのすべてを与えられた役に注ぎ込み、カーテンコールの拍手喝采をあびる自分の姿を目指して、みんなで進んでいきましょう。
  


Posted by 基山の歴史と文化を語り継ぐ会  at 15:38Comments(0)主催・共催事業

2017年07月23日

きやま創作劇宣伝隊繰り出す!

 昨日行われた第30回きのくに祭りに、今年12月10日(日)に公演予定のきやま創作劇「八ツ並の姫 観音様になった姫」を宣伝するため、昨年に引き続き「きやま創作劇宣伝隊」がパレードに参加しました。蒸し暑さの中、浴衣姿に、「おんながた(女形)」が繰り出し、会場に集まった皆さんの視線を釘付けにしていました。



 きやま創作劇も、町民の皆さまに定着してきていることを実感できる宣伝隊パレードになりました。

 12月10日の本番にむけて、厳しい練習が始まっています。
 創作劇に参集した役者、スタッフの皆さんが、どのような「色」に染まっていくのか、日々の取り組みで変わっていくでしょう。
 「俺が、私が・・。」の個性のぶつかり合いでは、全体の流れに合うものにはなりません。劇全体を総監する総指揮者の感性に身を委ね、今まで見たことのない「自分」発見に挑戦してみてください。



 宣伝隊に参画していただいた皆さま、お疲れ様でした。
  


Posted by 基山の歴史と文化を語り継ぐ会  at 20:03Comments(0)参画事業

2017年07月15日

『八ツ並の姫』が語る時代(その5)

 これまでの話で、むかし話として語られてきた『八ツ並の姫』が語る時代が絞られてきました。これからは、物語が語る様々な事象から探っていきますので、ここでいったん今までの流れを整理しておきましょう。

①物語の原点である太田山安生寺の創建は、養老6年(西暦722年)
②「やつなみ(八ツ並、八並、八波)の地名が残る場所には、奈良時代の役所を想定させる遺跡が多く見つかっている。
③『八ツ並の姫』には二つの物語があり、「観音様になったお姫様」の話と「観音様に助けられたお姫様」の話があり、「観音様に助けられた話」の流れから、既に子を授かるための祈りの場としての太田山安生寺があり、そこにあった井戸の中で観音様に助けられたという物語から、「観音様になったお姫様」の話が、「観音様に助けられたお姫様」の話より古いということが分かります。そして、この「観音様に助けられたお姫様」の話が、平治年中の物語として伝えられていることから、平治年中が平治元年(西暦1159年)しかないことから、この年より前に「観音様になったお姫様」の話は創られたことが分かります。

 これらを表に整理してみました。


 さあ、いよいよ、詰めていきましょう。・・・・・(つづく)
  


Posted by 基山の歴史と文化を語り継ぐ会  at 19:15Comments(0)基山の文化遺産

2017年07月12日

『八ツ並の姫』が語る時代(その4)

 では、『八ツ並の姫』が語る時代の下限、云わばいつの時代まで下がる(新しい)と考えられるのかをみてみましょう。
 その手掛かりは、『八ツ並の姫』の物語が秘めています。

 ・・・・・・んっ? と思われた方もおられるでしょう。

 実は、現代に語り継がれている『八ツ並の姫』のむかし話には、二つあることが分かってきました。一つは、紙芝居にもなった『八ツ並の姫 観音さまになったお姫様』の話で、もう一つは『八ツ並の姫 観音さまに助けられたお姫様』とでもいえる物語です。両方とも「八ツ並長者」の娘の物語として語られているむかし話で、副題として語られる内容に両者の違いがあります。

 今一つの「観音さまに助けられたお姫様」の物語は、「むかしむかし」で始まる物語と、とても具体的に「平治年中」からはじまる物語があり、「平治年中」とは、西暦1159年だけに限られた和暦で、平氏の世に突入しつつある時代のお話しとして伝えられています。
 この話は、八ツ並長者季春の姫・春(お春、春姫)が、相応の婿養子を迎えて数年過ぎたが、子が授からないため自ら太田山の助けを請い日参したが、なかなか験しなきことを思い悩んでいたお話しです。太田山へ日参していた姫は、太田山の井戸から水を汲もうとしたその時、足を滑らせて井戸の中に落ちてしまったのです。井戸に落ちた春姫は助けを求めましたが山中に人もなく途方にくれていたのです。八ツ並の館では姫の行方が知れず大騒ぎになり、太田山をはじめ四方八方に手を尽くします。そのような中、太田山の井戸の中から声が聞こえ、その井戸を覗くと春姫がいたので助け上げ、姫の話を聞くと、井戸に落ちたと思いきや大いなる掌が現れ、姫の身体を乗せると救い上げてくれたということであったのです。これを聞いた八ツ並長者季春は、仏恩を感じ、本堂再建に務めたという物語です。
 この話の特徴は、物語の時代や八ツ並長者、姫の名前などが具体的に語られていること。それにも増して、子を授かりたいという思いから太田山へ日参し、かつ井戸の中で大いなる掌に助けられたという件があることです。いわば、子を授かるための祈りの場として太田山が考えられていること、井戸に落ちた時に助けてくれた「大いなる掌(恐らくは観世音菩薩様の掌を想像できます)」があったことをみると、既に太田山安生寺が存在していたことを想定することができます。



 これらを考え合わせると、一つ目の物語である「観音さまになったお姫様」の時代を考えると、この二つ目の物語が創られた「平治年中」より前ということが考えられることになります。

 さあ、だいぶ『八ツ並の姫 観音さまになったお姫様』の物語が創られた時代が絞られてきました。
 次回は、さらにどの辺の時代の物語かを、物語が語る様々な事象を観察して想定していきましょう。
  


Posted by 基山の歴史と文化を語り継ぐ会  at 21:03Comments(0)基山の文化遺産

2017年07月11日

『八ツ並の姫』が語る時代(その3)

 「やつなみ」の地名が残る場所には、奈良時代の役所跡と考えられる遺跡が共通して発見されていることや、多くの建物が立ち並ぶ様から「やつなみ」という地名が語り継がれてきたと考えました。
 そこから、『八ツ並の姫』が語る時代の一端が原始時代以前は考えられないことも説いてきました。
 ふと考えると、八ツ並長者が観音様になった娘を祀るお堂を建てたとされるお寺、そうです佐賀県鳥栖市田代本町にある天台宗 太田山安生寺は、「奈良時代養老6年(722年)行基菩薩一刀三礼(いっとうさんらい)の御作にて、小堂を建て奉安した事を開創とします。」と伝えられており、太田山安生寺より以前の話ではないことを考えると、奈良時代以降のことであることが裏付けられてきます。

■太田山安生寺(鳥栖市田代本町)

 では、『八ツ並の姫』が語る時代の下限について考えてみましょう。

 ・・・・・。(つづく)
  


Posted by 基山の歴史と文化を語り継ぐ会  at 19:43Comments(0)基山の文化遺産

2017年07月10日

『八ツ並の姫』が語る時代(その2)

 「八ツ並」「八並」「八波」の地名が残る場所に、古代の役所と考えられる遺跡が共通して見つかっていることをお伝えしました。では、「やつなみ」が示す意味を考えてみましょう。
 「八」は末広がりとして、「多くの」「たくさんの」という意味が与えられてきました。この「多くの」「たくさんの」という意味に、「並々」を示す「なみ」が付け足されて、「多くの何かがある場所」という意味で「やつなみ」という場所を示す言葉へと変化したと考えられます。
 
 「やつなみ」の地名が残る場所に共通して見つかる古代の遺跡には、多くの建物跡が見つかっています。この多くの建物が築かれ「並々」と連なっている様を見た当時の人びとが、「やつなみ」の地として伝えられてきたと考えられます。
 この「やつなみ」をイメージさせる遺跡が、島根県倉吉市の不入岡遺跡で見つかっています。

■不入岡遺跡(赤塗の範囲が建物跡 調査報告書より抽出改変)

 これらのイメージを膨らませて、基山町金丸や鳥栖市八並にある八並金丸遺跡で見つかった建物を復原すると次の図のようであったかもしれません(あくまでも想像ですので、ご注意ください。将来発掘調査によって明らかになるでしょう。)

■大宰府-基肄城-八並金丸遺跡


■八並金丸遺跡(あくまでもイメージですので、学術的な課題にされないようご注意ください。)

 これらから、『八ツ並の姫』が語る時代の一端が、原始時代(旧石器時代から古墳時代)の産物ではないことが想像できました。では、下限はいつの時代でしょうか。

 それは、・・・・次回へ。
  


Posted by 基山の歴史と文化を語り継ぐ会  at 21:12Comments(0)基山の文化遺産

2017年07月09日

『八ツ並の姫』が語る時代(その1)

 むかし話には、「いつ・どこで・誰が」の三要素が語られないことから、どこでも語ることができる物語として、聞き手と語り手の置かれた時代性・社会性によって変容しつつ伝えられてきています。
 『八ツ並の姫』も、「昔々」「千年ほどむかし」など、時代性を感じさせつつ、具体性に欠ける物語として基山に伝わってきていますが、伝えられてきている物語の一つひとつを丁寧に見ていくと、いつの時代の物語なのか見えてくる場合があります。
 『八ツ並の姫』が描く時代性について、語り継がれてきた言葉や物語を見ていくことで、その時代について探ってみましょう。

 物語の題である『八ツ並の姫』にも、既に時代性が隠されています。
「八ツ並」「八並」「八波」と同じ読みでも3つの字が、物語の題名に使われています。この地名と思しき「やつなみ」は、基山町金丸のお隣、鳥栖市に八並と呼ばれる地名が残されています。
 この「やつなみ」と呼ばれる地名は、鳥栖に限ったことではなく、身近なところを探るだけでもいくつか上げることができます。

 福岡県筑前町大字三並字八並
 福岡県朝倉市八並
 福岡県福津市八並
 福岡県築上郡上毛町八並
 福岡県築上郡新吉富村大字八並
 大分県中津市永添字八並    などです。

 これらの地名が残る場所の多くには、共通するものが発見されています。
 それは、筑前町、朝倉市、中津市では、古代(奈良時代から平安時代中期)の役所跡と考えられる建物跡が発掘調査で見つかっています。

                        ■筑前町八並遺跡

                        ■朝倉市八並遺跡

 また、大宰府の北の守りである大野城跡には、八波礎石群と呼ばれる場所があります。

                  ■特別史跡大野城跡 八波礎石群

 このように、「やつなみ」と呼ばれる場所には、日本古代の役所跡と考えられる遺跡が共通して発見されています。

              ■鳥栖市八並金丸遺跡【現 鳥栖市東公園】

              ※掲載写真や図は、調査報告書等からの抽出
  


Posted by 基山の歴史と文化を語り継ぐ会  at 20:03Comments(0)基山の文化遺産

2017年07月08日

■むかし話と民話

 第2回きやま創作劇『八ツ並の姫 ~観音様になったお姫様~』は、基山に伝わるむかし話を原典として創られています。そのむかし話は、八ツ並長者伝説の一節にある「八ツ並(八並)の娘(姫)」と題するむかし話で、「昔々」「約千年ほどむかし」という件(くだり)ではじまるむかし話です。


 むかし話は、「むかしむかし、あるところに、おじいさんとおばあさんが住んでおりました。・・・・」という言い回しから分かるように、いつ・どこで・誰がという物語の基本とでもいえる三要素が大きく欠落したものとして言い伝えられており、三要素が明瞭に語られる民話とは異なっているのが特徴です。
 この言い伝えの三要素が欠落した物語に、聞き手に対して臨場感や理解を促すために、語り手が身近な要素を装飾していくことで、次第に民話的色彩が重ねられていくことになります。

 といっても、今回の創作劇の素材となった『八ツ並の姫』に類似するむかし話を、他所で確認することはできませんので、基山独自に語られてきた物語であることには違いないでしょう。
 
 次は、第2回きやま創作劇『八ツ並の姫』が描く時代について探ってみましょう。
  


Posted by 基山の歴史と文化を語り継ぐ会  at 15:34Comments(0)基山の文化遺産

2017年07月04日

第2回きやま創作劇『八ツ並の姫 観音様になったお姫様』

 去る7月1日土曜日午前10時から、基山町保健センターにて第2回きやま創作劇『八ツ並の姫 観音様になったお姫様』の第1回練習が行われました。


 きやま創作劇実行員会の園木会長の挨拶の後、創作劇の素材となった「八並の娘」のむかし話から考えられる歴史性(時代性)について基山の歴史と文化を語り継ぐ会副会長より講話があり、その後、制作総指揮を執る福永さんによる台本読みが行われています。


 今回の驚きは、いずれの時間も練習に集まった子どもたちが、真剣に聞き入り、そして真剣にメモをとる姿に、これまで積み重ねてきた創作劇制作の姿を回顧した時、演劇文化が基山に定着した姿を目の当たりにした気がしました。


 午後からのセリフ合わせには、経験者、初めての方関係なく、皆の素養と役どころの合わせ(試し)が行われ、その中にも経験者の凄さや、初体験者の初々しさに感心させられました。


 先輩の姿勢は良くも悪くも後輩の手本となり、後輩は先輩の姿から良し悪しを学ぶ姿勢も大切にしてください。
これら経験から学ぶことが歴史を学ぶことの原点です。

 家族とは異なる多様な人びとで構成される「社会」に身を置く時、自らの役割を新たに確認し、多様さを受け入れる寛容さが芽生えてきます。それを十二分に裏付けてくれるこれまで集ってくださった多くの役者やスタッフの方々の姿を思い起こすに、創作劇の持つ社会的役割を改めて感じた日となりました。

 さあ、練習開始です。与えられた役割を素直に受け入れ「演じきること。」が、参画した皆さんに与えられたミッションです。
 カーテンコールの後、拍手の渦の中で公演の幕が下りた時の感動をイメージして、進んでいきましょう。
 みんなで!

■紙芝居「観音様になったお姫様の話」より
  


Posted by 基山の歴史と文化を語り継ぐ会  at 21:04Comments(0)主催・共催事業