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Posted by さがファンブログ事務局  at 

2017年07月10日

『八ツ並の姫』が語る時代(その2)

 「八ツ並」「八並」「八波」の地名が残る場所に、古代の役所と考えられる遺跡が共通して見つかっていることをお伝えしました。では、「やつなみ」が示す意味を考えてみましょう。
 「八」は末広がりとして、「多くの」「たくさんの」という意味が与えられてきました。この「多くの」「たくさんの」という意味に、「並々」を示す「なみ」が付け足されて、「多くの何かがある場所」という意味で「やつなみ」という場所を示す言葉へと変化したと考えられます。
 
 「やつなみ」の地名が残る場所に共通して見つかる古代の遺跡には、多くの建物跡が見つかっています。この多くの建物が築かれ「並々」と連なっている様を見た当時の人びとが、「やつなみ」の地として伝えられてきたと考えられます。
 この「やつなみ」をイメージさせる遺跡が、島根県倉吉市の不入岡遺跡で見つかっています。

■不入岡遺跡(赤塗の範囲が建物跡 調査報告書より抽出改変)

 これらのイメージを膨らませて、基山町金丸や鳥栖市八並にある八並金丸遺跡で見つかった建物を復原すると次の図のようであったかもしれません(あくまでも想像ですので、ご注意ください。将来発掘調査によって明らかになるでしょう。)

■大宰府-基肄城-八並金丸遺跡


■八並金丸遺跡(あくまでもイメージですので、学術的な課題にされないようご注意ください。)

 これらから、『八ツ並の姫』が語る時代の一端が、原始時代(旧石器時代から古墳時代)の産物ではないことが想像できました。では、下限はいつの時代でしょうか。

 それは、・・・・次回へ。
  


Posted by 基山の歴史と文化を語り継ぐ会  at 21:12Comments(0)基山の文化遺産