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Posted by さがファンブログ事務局  at 

2017年07月09日

『八ツ並の姫』が語る時代(その1)

 むかし話には、「いつ・どこで・誰が」の三要素が語られないことから、どこでも語ることができる物語として、聞き手と語り手の置かれた時代性・社会性によって変容しつつ伝えられてきています。
 『八ツ並の姫』も、「昔々」「千年ほどむかし」など、時代性を感じさせつつ、具体性に欠ける物語として基山に伝わってきていますが、伝えられてきている物語の一つひとつを丁寧に見ていくと、いつの時代の物語なのか見えてくる場合があります。
 『八ツ並の姫』が描く時代性について、語り継がれてきた言葉や物語を見ていくことで、その時代について探ってみましょう。

 物語の題である『八ツ並の姫』にも、既に時代性が隠されています。
「八ツ並」「八並」「八波」と同じ読みでも3つの字が、物語の題名に使われています。この地名と思しき「やつなみ」は、基山町金丸のお隣、鳥栖市に八並と呼ばれる地名が残されています。
 この「やつなみ」と呼ばれる地名は、鳥栖に限ったことではなく、身近なところを探るだけでもいくつか上げることができます。

 福岡県筑前町大字三並字八並
 福岡県朝倉市八並
 福岡県福津市八並
 福岡県築上郡上毛町八並
 福岡県築上郡新吉富村大字八並
 大分県中津市永添字八並    などです。

 これらの地名が残る場所の多くには、共通するものが発見されています。
 それは、筑前町、朝倉市、中津市では、古代(奈良時代から平安時代中期)の役所跡と考えられる建物跡が発掘調査で見つかっています。

                        ■筑前町八並遺跡

                        ■朝倉市八並遺跡

 また、大宰府の北の守りである大野城跡には、八波礎石群と呼ばれる場所があります。

                  ■特別史跡大野城跡 八波礎石群

 このように、「やつなみ」と呼ばれる場所には、日本古代の役所跡と考えられる遺跡が共通して発見されています。

              ■鳥栖市八並金丸遺跡【現 鳥栖市東公園】

              ※掲載写真や図は、調査報告書等からの抽出
  


Posted by 基山の歴史と文化を語り継ぐ会  at 20:03Comments(0)基山の文化遺産