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Posted by さがファンブログ事務局  at 

2022年11月21日

■令和4年度きやま創作劇実行委員会 第3回会議

 本日、午後5時から基山町役場2階202会議室にて、第3回会議が開催されました。



 公演まで3週間を切り、①「大道具」「小道具」「衣装」など各パートの進捗状況確認、②通しリハーサル(12月4日)、本番前リハーサル(12月10日)、公演(12月11日)までの各スケジュール確認、③公演当日の役割分担確認、④公演後のお疲れ様会の日程確認など、公演へむけた各取組の確認が行われました。


【峠の茶屋で出されるお饅頭!!】

 いよいよ公演が近づいています。

 創作劇公演の物語とは異なったキャスト、スタッフ、そして観劇の皆さまの織りなす令和4年の「物語」、今年は、どんな「物語」が生まれるのか楽しみです。

※じわじわとコロナ感染症が広がってきています。
 キャスト・スタッフの皆さま、感染症のみならず怪我にも注意し、一人ひとりが自己責任のもと、しっかり健康管理をお願いします。


 
  


Posted by 基山の歴史と文化を語り継ぐ会  at 20:45Comments(0)活動・報告日記

2022年11月21日

■『枯松二国境物語』をふか〜く知る(その1)

 第6回きやま創作劇『枯松二国境物語』は、国道3号、佐賀県と福岡県の県境、現在の「三国境」交差点の西側に移設されていますが、ここにある二国境石標が建てられた江戸時代のお話しであることは、これまでお伝えしてきました。

 また『枯松二国境物語』に関わる文化遺産についても、これまで本ブログでお伝えしてきましたので、そちらをご参照ください。

●『枯松二国境物語』に関わる文化遺産記事
2020.10.11 ■国絵図
2020.9.30 ■「一里塚」跡
2020.5.6 ■長崎街道、現れる!
2020.3.29 「かいどう」と「がいどう」(その1)
2020.3.30 「かいどう」と「がいどう」(その2)
2018.6.23 ■「草莽の民」(その11) 国境のもう一つの姿
2018.6.22 ■「草莽の民」(その10) 二国境・三国境(その4)
2018.6.22 ■「草莽の民」(その9) 二国境・三国境(その3)
2018.6.21 ■「草莽の民」(その8) 二国境・三国境(その2)
2018.6.21 ■「草莽の民」(その7) 二国境・三国境(その1)
2018.6.17 ■「草莽の民」(その6) 長崎街道
2015.12.13 基山が対馬藩領になったいきさつ
2015.5.16 肥前国と筑前国の国境に植えられていた植物
2012.2.26 謎の「マンホール」


【枯松二国境標石(国道3号拡幅工事に伴い現在地に移設)】

 これからは、『枯松二国境物語』が生まれた歴史的な背景について語っていきましょう。

 江戸時代がもたらした「分離」と「固定」と「安定」が、その背景にはあったのです。
  


Posted by 基山の歴史と文化を語り継ぐ会  at 06:12Comments(0)参画事業基山の文化遺産

2022年11月20日

■きやま創作劇『枯松二国境物語』活動日記

 第6回きやま創作劇『枯松二国境物語』公演にむけた取組が、新型コロナ感染症対策と感染状況を見定めつつ着々と進んでいます。
 
 今回もその様子が、基山webの駅「きやま創作劇実行委員会」ページにて公開されています。是非、ご覧ください。

【基山webの駅】
URL:https://kiyama-web.jp/kiyamageki/MyHp/Pub/Default.aspx



※日記には、短文ですが、その時々の思いがつづられています。作成、ありがとうございます。
  


Posted by 基山の歴史と文化を語り継ぐ会  at 08:59Comments(0)参画事業

2022年11月19日

■第6回きやま創作劇『枯松二国境物語』

 6回目の公演を迎える「きやま創作劇」は、時は江戸時代、我が町基山の北東、隣町の原田との間で起きた国境争論(くにさかいそうろん)の物語『枯松二国境物語』です。


【提供:きやま創作劇実行委員会・基山町・基山町教育委員会】

 折しも世界情勢は、今年2月に起きたロシアによる「特別作戦」と称したウクライナ侵攻の世。毎日、多くの人々が亡くなり、悲しみ、悲惨な情報が入ってこない日はありません。「国境(くにさかい・こっきょう)」といういわば「固定」された「線」によって、様々な争いが世界中で引き起こされています。

 「白黒」つけることの明瞭さ、爽快さとは裏腹に、「分離」「固定」が引き起こす争いの種を撒くことにもつながっていることを私たちは知る必要があります。

 江戸時代の我が町基山は対馬藩領であり、北隣の原田は福岡藩領という、今でいう「国境(くにさかい)」のある「まち」でした。その国境にあった一本の松の木が「枯れた」ことから起きた騒動。


【提供:きやま創作劇実行委員会・基山町・基山町教育委員会】

 国境紛争を知る現代を生きる私たちに、きやま創作劇『枯松二国境物語』は何を語るのでしょうか。

 是非、ご覧ください。  


Posted by 基山の歴史と文化を語り継ぐ会  at 11:12Comments(0)参画事業基山の文化遺産