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Posted by さがファンブログ事務局  at 

2019年06月21日

■創作劇『こころつないで』を、ふか~く楽しむために

■創作劇『こころつないで』を、ふか~く楽しむために(その7)

 実は、『日本書紀』孝徳大化三年条に

『日本書紀』孝徳大化三年
「新羅、遣上臣大阿飡金春秋等、送博士小德高向黑麻呂・小山中中臣連押熊、來獻孔雀一隻・鸚鵡一隻。仍以春秋爲質。春秋美姿顏善談笑。造渟足柵、置柵戸。老人等相謂之曰、數年鼠向東行、此造柵之兆乎。」

という記事が見え、金春秋のことが、「春秋美姿顏善談笑(春秋は、容姿美しく、談笑するに善し)。」と記されています。孔雀や鸚鵡とともに「質」として遣わされた金春秋で、それ以上もそれ以下も記されていないため、何を目的に来ていたのかを推し量ることはできませんが、この僅かな記述から見えてくることは、大王家や皇族家に関わらず多くの人々と会話を交わす金春秋の姿が想像されます。

 その後の唐への渡航を考慮すると、新羅の切迫した情勢を背負いつつ、倭と組むか、最も避けたいにも関わらず残る唐と組むのかの決断を、この時したのではないかと考えられます。結果として、金春秋の下した結果は、最も避けるべき手段であった韓半島にとって異民族である唐との連合を苦慮しつつ決断したことになります。
 唐に傾斜した理由は、二つ。
 一つは、倭で見た、倭と百済の結びつきの太さと、百済王義慈なき後は、その子である豊璋の担ぎ出しを見通した上での判断であったこと。そしてもう一つは、新羅が唐の制度を受け入れ親唐派の国であることを見せつけることで、唐の太宗に新羅を認めさせることに成功したことと想像できます。


●唐の太宗へ百済討伐を進言する新羅からの使者【第3回公演】

 高句麗討伐に手を焼き、国内情勢も危うくなりつつあった唐にとって、金春秋からの提案は、危機を打開するに不安は残しつつも取り組むに足るという判断を下し、軍隊を動かすことになります。劇中では、金春秋の一連の策略は描かれませんが、新羅からの使者を迎え、唐の太宗が決断する場面として描かれています。


●新羅からの竹簡を読む太宗【第1回公演】

 金春秋の長年の願いであった、長く続く韓半島の争いの火を消し、金春秋の死後にその子法敏(後の文武王)によって中国 唐の力を借りつつ三韓統一を成し遂げ、ついには中国 唐の排除に成功し、「統一新羅」として韓半島に住んでいた人々を統括することに成功するのです。この激動の中の一つの出来事として白村江の戦いは歴史の中に登場することになるのです。

 この金春秋(太宗武烈)を主人公とした韓国ドラマがあります。韓国KBSテレビ制作の『大王の夢 ~王たちの戦争~』です。金春秋が新羅復興に立ち上がり、高句麗・倭・唐を綱渡り外交を演じつつ、三韓統一を成し遂げる姿を描いたドラマで、倭国の描き方に大きな違和感を禁じ得ませんが、金春秋の心情がよく描かれており、韓国側からみた原始から古代への東アジア情勢を知る上で参考になります。
  


Posted by 基山の歴史と文化を語り継ぐ会  at 19:43Comments(0)基山の文化遺産