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Posted by さがファンブログ事務局  at 

2019年06月13日

■6月10日(その2)

 6月10日は、時の記念日、大正10年では「時の宣伝」日でした。
 我が町基山にとっては、もう一つ、記念する行事が行われています。
 基山(きざん)山頂に天高くそびえて建つ「天智天皇欽仰之碑」建立の記念すべき日でした。今や我が国の特別史跡に指定されている基肄城跡ですが、史跡指定へむけて久保山善映先生を中心とした町民の皆さんが尽力されていた大正から昭和初期の頃、多くの方々の寄付によって建立されたのです。


●「天智天皇欽仰之碑」現況写真

 昭和5年(1930)に肥前史談會が発起人となり、佐賀県知事を総裁とする「天智天皇奉賛銅柱建設會」が組織され、翌年6月10日に起工式が執り行われています。そして発起から3ヶ年の月日を経た昭和8年(1933)6月10日に「天智天皇欽仰之碑」として除幕式が行われたのです。


●除幕式時の写真

 その時の写真が、『肥前史談』に載せられており、そこには、誇らしげに立つ小学生の姿も見えます。実は、小学生から大人まで、多くの町民が欽仰碑建立に携わり、ご記憶にある皆さまからは、「麓から砂や石をリュックに入れ背負って運んだ。」とお話を伺うことができます。
 この時、同時に建立されたのが、欽仰碑の南側にある展望所ならぬ正式名称「通天洞(避難所)」や、「特別史跡基肄城跡」記念碑の北側にある小高い丘の上に展望所が建てられています。残念なことに小高い丘の上に建てられていた展望所は、老朽化のため解体され基礎部分のみが当時の面影を今に伝えています。


●通天洞現況

●展望所現況 

●かつての展望所

 何気なく建つ基山(きざん)の文化遺産ですが、多くの町民のご努力によって建立されたモノであることは知っておいてください。

※裏話として、「天智天皇欽仰之碑」は、当初は天智天皇の御姿を銅像として建立する計画だったようです。しかし、天皇の御姿を像にすることはまかりならんという、当時の宮内省のお達しで、今の姿になったのでした。ちなみに、天智天皇の御姿を伝える飛鳥時代から受け継がれる絵は、残されていません・・・・・・・。“!”
  


Posted by 基山の歴史と文化を語り継ぐ会  at 21:15Comments(2)基山の文化遺産