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Posted by さがファンブログ事務局  at 

2014年06月14日

基肄城のお話 その2 -大宰府政庁跡から見た基肄城-

 大宰府の南の守りである基肄城は、基山に住んでいる私たちは、いつも南側・東側からばかり見ています。
 では、大宰府跡から南を見た時、どのお山が基肄城なのでしょうか。
大宰府政庁跡を歩いていると、多くの方々に、「どのお山が基肄城?」と質問を受けますので、ここで紹介しておきます。

 まずは、私たちに馴染みの南側から見た基肄城を見てください。


■南側から見た基肄城

 次に、大宰府政庁跡から南側を、見てください。


■大宰府政庁跡から見た基肄城

 おおよそ「表裏」に反転した形がイメージできたでしょうか。

 大宰府と基肄城の地理的な関係は、四王寺山(戦国時代の岩屋城跡)から見ていただくと、よく分かります。


■四王寺山から見た基肄城

 一度、登ってみてください。
 ちなみに、朱雀大路の西側にある「榎社」は、菅原道真公の居所として知られています。
  


Posted by 基山の歴史と文化を語り継ぐ会  at 13:59Comments(0)基山の文化遺産