2014年06月15日
木山口町
JR基山駅がある町が、旧木山口町です。長崎街道が通過する町として江戸時代、正保・慶安(1644~1651)年間に開かれたと云われ、鎮守である若宮八幡宮の建立は、承応三(1654)年と伝えられています。
「基八間山(きやまやま=荒穂宮のある山(基山 きざん)を指すと云われています。)の入口故、木山口町と名付ける。」と、町の名称の由来も伝えられています。

原田宿や田代宿などの宿場町とは異なりますが、多くの人びとが行き交う場として、在郷町が形成されていきます。人びとが集う場に欠かせないものが造り酒屋で、木山口にも基山商店、三国酒造などがあり、現在も基山商店が唯一残された造り酒屋として、その風格を今に伝えています。
江戸時代に記された菱屋平七(吉田重房)著『筑紫紀行』には、「人家五六十軒あり、東の入口に茶屋あり。商家、酒屋あり。」と記されています。


■木山口の北の入口にある若宮八幡宮
(向こうには、近代の風情を伝える「西海製薬」の建物が見えます。)
「基八間山(きやまやま=荒穂宮のある山(基山 きざん)を指すと云われています。)の入口故、木山口町と名付ける。」と、町の名称の由来も伝えられています。

原田宿や田代宿などの宿場町とは異なりますが、多くの人びとが行き交う場として、在郷町が形成されていきます。人びとが集う場に欠かせないものが造り酒屋で、木山口にも基山商店、三国酒造などがあり、現在も基山商店が唯一残された造り酒屋として、その風格を今に伝えています。
江戸時代に記された菱屋平七(吉田重房)著『筑紫紀行』には、「人家五六十軒あり、東の入口に茶屋あり。商家、酒屋あり。」と記されています。


■木山口の北の入口にある若宮八幡宮
(向こうには、近代の風情を伝える「西海製薬」の建物が見えます。)