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Posted by さがファンブログ事務局  at 

2014年06月07日

関屋土塁を分岐とする旧道

 基山にある「水城」で紹介した関屋土塁の近くには、昔ながらの道が残されています。



 皆さんによく知られている長崎街道(長崎路)の他に、江戸時代の元禄年間に描かれた絵図にたどることができる道が、今も残されています(図中の赤線の道。破線の部分は、残念ながら失われてしまった道です。)。

 基山町は、国道3号線、JR鹿児島本線など、九州を代表する交通路が南北に縦断し、昔ながらの道が失われた箇所もありますが、幸いなことに、大規模な宅地開発(区画整理)や耕作地の圃場整備が行われる中、昔ながらの道を残しつつ行われており、旧情を知ることができる希有な地といえます。これも基山に住む方々の「昔を思う気持ち」の表れだと思います。


■関屋土塁の北側に残る長崎街道(横には、JR鹿児島本線が見えます。)

 また、先に記した江戸時代の絵図も対馬藩主宗家によって守られていたため、今の地形図に旧道をたどることができたのも幸いしています。
 

 もう一度、地図をみていただくと、先にお伝えした関屋土塁を分岐点として、南に二つの道に分かれているのが分かりますね。

 そこに残された物語は、次回にしましょう。
  


Posted by 基山の歴史と文化を語り継ぐ会  at 08:17Comments(0)基山の文化遺産