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Posted by さがファンブログ事務局  at 

2014年06月04日

基山にある「水城」

 太宰府にある水城跡は、日本書紀にも記される史跡として、今年、築城1350年をむかえます。
 私たちが暮らす、この基山町にも水城跡と同じ役割を担ったと考えられる土塁の跡があるのはご存じでしょうか。

 JR基山駅の北側、国道3号線の「上町(kamimachi かんまち)」信号があるところに、太宰府の水城と同じ役割を担ったとされる関屋土塁の跡があります。
 国道3号線を行き来するとあまり分かりませんが、「上町」交差点の西側に説明板が設置されています。
 地形図をみると、国道3号線の西側にある若宮八幡宮がのっている千塔山丘陵に、自然では考えられない人工的な張り出しがあるのが分かります(赤丸部分)。また東の城ノ山丘陵にも南側に張り出す部分があるのが分かります(赤丸部分)。


■昭和40年代の地形図から復原
(今も赤丸印部分の張り出しはあります。)

 これが、関屋土塁の名残と考えられるもので、基肄城から南を守るため、古代、飛鳥時代の人びとによって築かれた土塁なのです。

 復原してみると、写真のようになりますが、長い年月によって削られ、今、国道3号線が通り、多くの人びとが行き交っています。

 そこに、悠久のむかし、人力によって築かれた土塁が、実は眠っているのです。
 この関屋土塁も、基肄城跡と同じく、静かに誕生を祝って欲しいと願っているかもしれません。


■今の国道3号線に復原してみました。  


Posted by 基山の歴史と文化を語り継ぐ会  at 19:29Comments(0)基山の文化遺産