2020年09月22日
■木山口町(きやまぐちまち)の歴史・文化遺産
これまで、当会のブログにて木山口町に関わる文化遺産を16回ほど紹介してきました。現代の木山口町は、JR基山駅、甘木鉄道基山駅がある場所であり、長崎街道が通った江戸時代に遡る街場として、まさに基山の玄関口として今も昔も機能してきた町なのです。
「木山口町」として2014年6月15日の記事に紹介しておきましたが、木山口町の起こりは、江戸時代、元禄年間(1688年~1704年)に描かれた『元禄国絵図』に「正保二年(1645)以後ノ新町」と記されていることから、この頃、「街場」を形成したものと考えられています。この『元禄国絵図』には、同時期に形成された「町」として、「白坂町」「今町」などいずれも長崎街道沿いの「街場」が記されていますので、長崎街道の整備と強く関わった「町」であることが想像できます。

■木山口町の文化遺産
この木山口町の名称は、江戸時代の文書に「基八間山の入口故、木山口町と名付ける。」と記され、「きやまぐちまち」の呼称のとおり、基山(きざん)の入口にあたるという地理的・社会的な位置から呼称されたことが分かります。
「木山口町」として2014年6月15日の記事に紹介しておきましたが、木山口町の起こりは、江戸時代、元禄年間(1688年~1704年)に描かれた『元禄国絵図』に「正保二年(1645)以後ノ新町」と記されていることから、この頃、「街場」を形成したものと考えられています。この『元禄国絵図』には、同時期に形成された「町」として、「白坂町」「今町」などいずれも長崎街道沿いの「街場」が記されていますので、長崎街道の整備と強く関わった「町」であることが想像できます。

■木山口町の文化遺産
この木山口町の名称は、江戸時代の文書に「基八間山の入口故、木山口町と名付ける。」と記され、「きやまぐちまち」の呼称のとおり、基山(きざん)の入口にあたるという地理的・社会的な位置から呼称されたことが分かります。