2020年09月28日
■「間宿」としての木山口町(その3)
木山口町の北側、現在の国道3号と長崎街道が交わるところに、「上町」信号があります。この「上町」信号を西側・木山口町側から渡りほんの少し東に進むと、北と南に行く分かれが出てきます。北方向は長崎街道、南方向は小倉村を通って小郡へ至る通称「博多道」です。

江戸時代は、長崎街道と筑後方面への路の分かれですが、奈良時代では基肄驛を分岐とした官道であったと推定されています。
詳細については、本ブログの2014.6.8版を御覧ください。
この博多道をたどり小郡方面へ行くと鳥栖から東へ行く秋月街道と合流し、さらに東へ進むと松崎宿からは薩摩街道への分岐へ至ります。我が町基山が交通の結節点といわれる所以がここにあります。・・・(つづく)。

江戸時代は、長崎街道と筑後方面への路の分かれですが、奈良時代では基肄驛を分岐とした官道であったと推定されています。
詳細については、本ブログの2014.6.8版を御覧ください。
この博多道をたどり小郡方面へ行くと鳥栖から東へ行く秋月街道と合流し、さらに東へ進むと松崎宿からは薩摩街道への分岐へ至ります。我が町基山が交通の結節点といわれる所以がここにあります。・・・(つづく)。