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Posted by さがファンブログ事務局  at 

2020年09月24日

■「町」と記された木山口町(その2)

 身近な方々からの聞き取りで分かってきましたか?

 料理の話もそうですが、苗字ではなく名前で呼ぶ土地柄からも分かってきます。何故、苗字ではなく名前で呼ぶのか?「飛松さん」「松田さん」「天本さん」「山本さん」・・・・ではなく、「一郎さん」「健一さん」「晃さん」などなど、我が町基山では、苗字で呼ばれるのではなく名前で呼ばれることが多々あります。それは、何故でしょう?

 村落的な社会では、同族集団で構成されるため、苗字で呼んでも個人を特定できないので、苗字ではなく名前で呼称される場面が多々あるのです。同族集団で形成される社会、それが「村落」的な社会といえます。もうお気づきでしょう、「村落」的な社会では、同族的つながりの社会ですので、ハレの場やケの場での料理は、そこ此処のシキタリに沿って料理が作られます。ハレの場であるお正月の料理で統一観を持つ社会、同じような苗字の方々で構成される社会が「村落」的なつながりのある社会で、料理に限らず様々な要素で統一観の無い多様な社会が「都市」的な相互の関係性が希薄な社会ということになります。


●5区のこもったきでの料理


●6区丸林のお祭りでの料理

 この「村落」的な場こそが、「村」であり、よそ者で形づくられた場が「都市」的な場であり『正保国絵図』や『元禄国絵図』に記された「町」と考えられます。それを裏付けるように、木山口町に今お住まいの方々にハレの場の料理などをお聞きすると、統一観のない多様なことがおこなわれています。一方で、丸林、城戸、小松などの集落では、同じ料理、行事が今も行われています。
 しかし、福岡市のように広域な場から集住している地域と異なるのは、木山口町の方々の一見「バラバラ」な行為も、元をたどれば基山町内の集落のどこかと一致する事例を、まだ見ることができ、その方々にルーツをお聞きすると、「なるほど・・・」と思える町内の集落にたどり着くことができることがままあるのです。・・・・・(つづく)
  


Posted by 基山の歴史と文化を語り継ぐ会  at 20:15Comments(0)基山の文化遺産