2018年07月01日
■「草莽の民」(その12)
■対馬藩田代藩校 東明館
現在の県道205号線沿い、田代町(旧田代宿)内にある鳥栖市立田代小学校前に道路を挟んで南側の個人病院地に対馬藩田代藩校東明館跡入口を示す石碑が建っています。

■東明館があった旧田代宿の様子(道路は、旧長崎街道)
藩校とは、江戸時代に各藩が藩士等の子弟を教育するために設立した学校で、諸藩の事情を反映し、内容や規模は様々でした。明治4年(1871)の廃藩置県で藩校は廃止されましたが、明治5年(1872)の学制施行時には中等・高等諸学校の直接、間接の母体となっています。著名な藩校としては、先にあげた長州藩の明倫館、福岡藩の修猷館、久留米藩の明善堂、佐賀藩の弘道館などがあります。
東明館とは、対馬藩田代領の藩校で、寛政4年(1792年)、当時の対馬藩主宗義功が、朱子学を官学とする幕府の政策にならって、鳥栖に稽古所を開き、寛政12年(1800年)に「東明館」の名が冠され、文芸・武事をともに修める場となっていきます。藩校で教えを受けた人々は、藩士の子弟、庄屋層、医者、寺社の子弟も含まれ、やや広がりのある学風を備えていましたが、やはり限られた階層のみへの教育であることは知っておく必要があるでしょう。
先ほど、対馬藩田代藩校東明館跡入口の石碑のことを記しましたが、ここに記された東明館跡は旧館で、安政2年(1855)6月には移転し開校式が執り行われています。新館の場所は、旧代官所跡、現在の田代小学校西側の一角にあったと伝えられています。移転のきっかけは、官舎の手狭、老朽化が原因であったとされ、学ぶ者たちの増加、文武両道を教授する場であるにも関わらず、官舎と武芸稽古場とが離れているという不便さもあったようです。

■旧館・新館の位置
【文献】
長 忠生(1988)「田代領藩校東明館について」『栖』第12号 pp.52-57
現在の県道205号線沿い、田代町(旧田代宿)内にある鳥栖市立田代小学校前に道路を挟んで南側の個人病院地に対馬藩田代藩校東明館跡入口を示す石碑が建っています。

■東明館があった旧田代宿の様子(道路は、旧長崎街道)
藩校とは、江戸時代に各藩が藩士等の子弟を教育するために設立した学校で、諸藩の事情を反映し、内容や規模は様々でした。明治4年(1871)の廃藩置県で藩校は廃止されましたが、明治5年(1872)の学制施行時には中等・高等諸学校の直接、間接の母体となっています。著名な藩校としては、先にあげた長州藩の明倫館、福岡藩の修猷館、久留米藩の明善堂、佐賀藩の弘道館などがあります。
東明館とは、対馬藩田代領の藩校で、寛政4年(1792年)、当時の対馬藩主宗義功が、朱子学を官学とする幕府の政策にならって、鳥栖に稽古所を開き、寛政12年(1800年)に「東明館」の名が冠され、文芸・武事をともに修める場となっていきます。藩校で教えを受けた人々は、藩士の子弟、庄屋層、医者、寺社の子弟も含まれ、やや広がりのある学風を備えていましたが、やはり限られた階層のみへの教育であることは知っておく必要があるでしょう。
先ほど、対馬藩田代藩校東明館跡入口の石碑のことを記しましたが、ここに記された東明館跡は旧館で、安政2年(1855)6月には移転し開校式が執り行われています。新館の場所は、旧代官所跡、現在の田代小学校西側の一角にあったと伝えられています。移転のきっかけは、官舎の手狭、老朽化が原因であったとされ、学ぶ者たちの増加、文武両道を教授する場であるにも関わらず、官舎と武芸稽古場とが離れているという不便さもあったようです。

■旧館・新館の位置
【文献】
長 忠生(1988)「田代領藩校東明館について」『栖』第12号 pp.52-57
2018年07月01日
「草莽の民」始動!
いよいよ平成30年、第3回きやま創作劇「草莽の民 明治基山にいきた人達」の練習が始まりました。前日から大雨にみまわれ、当日朝も雷鳴とどろく大雨に、町内でも雷の影響が出ていたようです。
にも関わらず、80名を超える方々が、午前10時からの第1回練習に詰め掛けてくださり、きやま創作劇の定着度を知ることができる日となりました。
午前中は、きやま創作劇実行委員会の会長(当会理事長)から、今年の創作劇制作にむけての挨拶があり、次に総指揮者(当会理事)から、創作劇参画にあたっての諸注意が話されました。
その後、今年度の創作劇「草莽の民」を演じるにあたって知っていて欲しい、劇が描く時代背景や劇が語るテーマ等について、毎年、創作劇の歴史的な監修を手掛けている当会副理事長から講話を行いました。



■講話で流された画像
再び、総指揮者から参画する方々の名前確認とともに、参画意図について自己紹介とともに語っていただいています。
参画者の方々からは、「創作劇を観て、楽しそうだったから!」「劇に出ているが、まだまだ不満足だったので、今年はリベンジします!」「セリフのない役で、昨年安心したが、やっぱりセリフの一言でも言った方が、頭が活性化していい。」などの参画意図が語られていました。
午後からは、台本読みがあり、総指揮者の劇に込めた意図について語られています。
毎年のことですが、熱心にメモをとる子どもたちに、年々成長している姿を感じて感動しました。

■熱心に聞き入る子どもたち
さぁ、いよいよ始動です。持てる力を全て出し切って、公演の日の感動のカーテンコールを迎えましょう!
くれぐれも怪我のないように・・・。
にも関わらず、80名を超える方々が、午前10時からの第1回練習に詰め掛けてくださり、きやま創作劇の定着度を知ることができる日となりました。
午前中は、きやま創作劇実行委員会の会長(当会理事長)から、今年の創作劇制作にむけての挨拶があり、次に総指揮者(当会理事)から、創作劇参画にあたっての諸注意が話されました。
その後、今年度の創作劇「草莽の民」を演じるにあたって知っていて欲しい、劇が描く時代背景や劇が語るテーマ等について、毎年、創作劇の歴史的な監修を手掛けている当会副理事長から講話を行いました。



■講話で流された画像
再び、総指揮者から参画する方々の名前確認とともに、参画意図について自己紹介とともに語っていただいています。
参画者の方々からは、「創作劇を観て、楽しそうだったから!」「劇に出ているが、まだまだ不満足だったので、今年はリベンジします!」「セリフのない役で、昨年安心したが、やっぱりセリフの一言でも言った方が、頭が活性化していい。」などの参画意図が語られていました。
午後からは、台本読みがあり、総指揮者の劇に込めた意図について語られています。
毎年のことですが、熱心にメモをとる子どもたちに、年々成長している姿を感じて感動しました。

■熱心に聞き入る子どもたち
さぁ、いよいよ始動です。持てる力を全て出し切って、公演の日の感動のカーテンコールを迎えましょう!
くれぐれも怪我のないように・・・。