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Posted by さがファンブログ事務局  at 

2018年07月16日

■「草莽の民」(その17)

■旧藩士たちの激情から移転した大興善寺にある対馬藩宗家累代の御霊堂
 
 田代町昌元寺(鳥栖市)にあった御霊堂が、大興善寺へ移設されます。
 きっかけは、昌元寺住職の妻帯に端を発した旧対馬藩士の激情から、妻帯しない青年僧玉岡誓恩を理想とし昌元寺から大興善寺への移設騒動となります。時に明治6年(1873)のことでした。明治新政府の廃藩置県、廃刀令によって溜まった旧藩士の不満が、昌元寺住職妻帯騒動へと飛び火した形となったのです。
 田代町から移転するための使いが大興善寺へやって来るということで、小松集落は迎え入れるための騒動ともなります。しかし、一方で、大興善寺復興に尽力され、生き仏とも多くの人々に慕われた玉岡誓恩法印は、「世評を越えて自らの道を行く昌元寺さんが、大きく見えて自らがみすぼらしい。」と考えられ、人の目を避けるようになられます。そして、後に昌元寺さんに師事すると説かれるのでした。

■大興善寺にある対馬藩宗家御霊堂
  


Posted by 基山の歴史と文化を語り継ぐ会  at 05:42Comments(0)参画事業基山の文化遺産