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Posted by さがファンブログ事務局  at 

2018年03月28日

「天神社」と「天満宮」(その5)

●安楽寺と天満宮
 眷属神を持つ神、まさに天満天神となられた道真公と、責め苦を受ける逆心者たちの姿を語ることで、天満天神をお祀りすることが地獄へ落ちることから救われるという意識が現世の人々に植え付けられて神格化されていきます。
 一方で、道真公が亡くなられた地・大宰府では既に門弟であった味酒安行(うまさけのやすゆき)が、道真公の死の二年後の延喜5年(905)8月19日に御廟を建立し安楽寺として菩提を弔っています。いわば菩提寺・安楽寺として道真公の墓所は祀られていくことになります。
 都では天満天神として神格化された道真公、大宰府では菩提寺を建立し弔われた道真公、この二つの姿があったことが歴史は語ります。大宰府では、天満宮という神崇拝の場としての呼称は戦国時代以降に一般化し、それ以前は安楽寺として呼称されている理由はここにあります。

■菅原道真公の御廟(太宰府天満宮御本殿)

 ちなみに、大宰府では、鎌倉時代以前の文献には「安楽寺」のみ記され、鎌倉時代中頃~室町時代までの文献に「天満宮・安楽寺」「天満宮安楽寺」の呼称が見え始め、天満宮という神崇拝の場としての呼称は戦国時代以降に一般化し「天満宮」「太宰府天満宮」として呼称されています。神崇拝の色彩が強くなった後も、大宰府にある道真公を弔う場を取り仕切る役職が、寺院を管轄する別当職が置かれていたことからも天満宮という神崇拝の場というよりは、寺院としての役割が強かったことが分かります。


■御本殿東側の丘陵中段にある相輪塔
 仏塔の一つとされ、五重の塔などの最上部にある相輪のみからなる塔で、安楽寺の名残といえる文化遺産です。享和2年(1802)の建立で、弘化4年(1847)再建とされ、現在は、太宰府市の指定文化財になっています。

■参考資料(大阪四天王寺の五重塔)

  


Posted by 基山の歴史と文化を語り継ぐ会  at 19:11Comments(0)基山の文化遺産関連する文化遺産