2018年09月22日
■大祭を待つ
明日、早朝から荒穂神社の秋の大祭 御神幸祭りが開催されます。
前夜、午後8時頃には、座元に居られた荒穂の神さまが、荒穂神社本宮で催行される柴垣の座にて戻ってこられます。
さあ、いよいよ大祭へと舞台は移っていきます。各地では、奉納芸能の最終調整が行われていました。

■子ども災払いの演舞練習が行われています【写真左】
潮井川のしめ縄、お仮殿のしめ縄が、明日の催行を待っているかのようです。


■上:潮井川、下:お仮殿
一年の感謝と、これらの無病息災を願って、大祭の幕開けです。
前夜、午後8時頃には、座元に居られた荒穂の神さまが、荒穂神社本宮で催行される柴垣の座にて戻ってこられます。
さあ、いよいよ大祭へと舞台は移っていきます。各地では、奉納芸能の最終調整が行われていました。

■子ども災払いの演舞練習が行われています【写真左】
潮井川のしめ縄、お仮殿のしめ縄が、明日の催行を待っているかのようです。


■上:潮井川、下:お仮殿
一年の感謝と、これらの無病息災を願って、大祭の幕開けです。
2018年09月22日
■お祭り
荒穂神社の秋の大祭、御神幸祭り。多くの人々が、荒穂の神様の御行幸(みゆき)を支え、秋の実りと基山の民の一年の無事を確認されるためのお仮殿までの旅にお供します。

●秋の実りの中を御行幸される荒穂の神さま
大祭当日は、荒穂の神様が乗られた神輿の下を、沿道に集われた方々がくぐられます。皆さん、何気なくくぐられていますが、恐らくは荒穂の神様が、神輿の上から一年の無事を確認されているのではないかと想像します。「お~っ、今年も来てくれたのですね~っ。」「んっ、あの方の姿が見えないが、どうされた?」と。



●集われた方々が、神輿の下をくぐる。
荒穂の神様の思いは、想像するしかありませんが、確実に言えることは、荒穂神社の御神幸まつりを「支柱」として多くの方々が集っていることは間違いありません。荒穂の神様には、大変失礼なことだとは思いますが、一年に一度、秋の大祭を「寄り添う場」として、多くの方々が集い、語らい、時間を共有しているのだと思います。
戦後の核家族化、地縁血縁からの離脱、「自由」の名の下に「離散」した人々の行く末は、糸が切れた凧のように誰ともつながらない自由を手に入れたかのように思いますが、結果、「誰でもよかった」という理由での殺人や孤独死という凄惨で悲惨な世の中になっていっています。
お祭りは、地域扶助を相互に確認する場だと思います。多くの人々が「寄り添う場」としてのお祭りの意義が見えてきます。過日にも記しましたが、お祭りは続けなければならないモノではなく、人々が寄り添い、語り、笑い、時間を共有するためにあるモノです。一年、また一年を大切に繰り返していくことが必要なのだと思います。
「あ~っ、元気やったね!」「また、会えたね」「また、一年後ね~っ!」と言える。これが、お祭りの真の役割ではないでしょうか。
23日午前6時頃、荒穂の神様が荒穂神社を旅立ち、お仮殿へむけてお下りされます。皆さんの元気な姿を見ていただきに沿道へお越しください。荒穂の神様が、皆さんが来られるのを、お神輿に乗り待っておられます。

●秋の実りの中を御行幸される荒穂の神さま
大祭当日は、荒穂の神様が乗られた神輿の下を、沿道に集われた方々がくぐられます。皆さん、何気なくくぐられていますが、恐らくは荒穂の神様が、神輿の上から一年の無事を確認されているのではないかと想像します。「お~っ、今年も来てくれたのですね~っ。」「んっ、あの方の姿が見えないが、どうされた?」と。



●集われた方々が、神輿の下をくぐる。
荒穂の神様の思いは、想像するしかありませんが、確実に言えることは、荒穂神社の御神幸まつりを「支柱」として多くの方々が集っていることは間違いありません。荒穂の神様には、大変失礼なことだとは思いますが、一年に一度、秋の大祭を「寄り添う場」として、多くの方々が集い、語らい、時間を共有しているのだと思います。
戦後の核家族化、地縁血縁からの離脱、「自由」の名の下に「離散」した人々の行く末は、糸が切れた凧のように誰ともつながらない自由を手に入れたかのように思いますが、結果、「誰でもよかった」という理由での殺人や孤独死という凄惨で悲惨な世の中になっていっています。
お祭りは、地域扶助を相互に確認する場だと思います。多くの人々が「寄り添う場」としてのお祭りの意義が見えてきます。過日にも記しましたが、お祭りは続けなければならないモノではなく、人々が寄り添い、語り、笑い、時間を共有するためにあるモノです。一年、また一年を大切に繰り返していくことが必要なのだと思います。
「あ~っ、元気やったね!」「また、会えたね」「また、一年後ね~っ!」と言える。これが、お祭りの真の役割ではないでしょうか。
23日午前6時頃、荒穂の神様が荒穂神社を旅立ち、お仮殿へむけてお下りされます。皆さんの元気な姿を見ていただきに沿道へお越しください。荒穂の神様が、皆さんが来られるのを、お神輿に乗り待っておられます。
2018年09月22日
■お祭りと政教分離
各地の神社で催行されるお祭りに、自治会が関与することについて、政教分離に反するという意見を耳にします。誰が「政(政治組織)」で、誰が「教(宗教組織)」かを考えた時、荒穂神社の大祭を例にとると、大祭は、荒穂神社を主宰する氏子会が取り仕切り、氏子の人々によって支えられています。したがって、相互に宗教組織であることを考えると、政教分離には抵触しません。一方、荒穂神社の御神幸まつりを民俗芸能行事として地方公共団体である町役場が宣伝することは、一方の極としての「政」である町役場であることを考えると、政教分離に抵触するのでしょうか。
この場合、昭和40年に争われた津地鎮祭訴訟の際、最高裁判決で明らかにされた「行為の目的が宗教的意義をもち、その効果が宗教に対する援助、助長、促進又は圧迫、干渉等になるか否かをもって判断する。」という「目的効果基準」に照らした時、何を目的として宗教祭事である御神幸まつりを宣伝しているのかが、分岐点となります。
現在、御神幸まつりは、基山の伝統芸能を保存継承する立場から地方公共団体である町役場も協力し、宣伝が行われています。これが仮に荒穂の神信仰を先導し、「国家」祭祀として位置づけ、個々人の思想信条までを統制していく手段とした場合は、政教分離の原則に大きく反しますが、氏子の人々によって支えられた様々な祭事を民俗行事として位置づけ、保存継承することを広く知っていただくことを目的として広報することは、この「目的効果基準」からして政教分離に該当しないと判断されます。

■奉納芸能(災払い)

■奉納芸能(鉦風流)

■奉納芸能(獅子舞)

■奉納芸能(大名行列)
同じ様な行為として、国宝や重要文化財である寺社建築の保存修理に文化庁補助金が投じられていますが、これは政教分離に抵触しません。何故なら、寺社建築の技術や意匠、背景にある歴史としての宗教観念を記録し後世に伝えていくことを目的としているためで、国民の思想信条を統制するために特定寺社建築を保存修理しているのではないからなのです。

■熊本地震で倒壊した阿蘇神社社殿(国指定重要文化財)

■平成の大修理が終わった高良大社(国指定重要文化財)
(高良の神さまは、荒穂の神さまと力比べをした昔話が残されています。)
政教分離とは何かを知った上で、議論を深めていく必要があります。
この場合、昭和40年に争われた津地鎮祭訴訟の際、最高裁判決で明らかにされた「行為の目的が宗教的意義をもち、その効果が宗教に対する援助、助長、促進又は圧迫、干渉等になるか否かをもって判断する。」という「目的効果基準」に照らした時、何を目的として宗教祭事である御神幸まつりを宣伝しているのかが、分岐点となります。
現在、御神幸まつりは、基山の伝統芸能を保存継承する立場から地方公共団体である町役場も協力し、宣伝が行われています。これが仮に荒穂の神信仰を先導し、「国家」祭祀として位置づけ、個々人の思想信条までを統制していく手段とした場合は、政教分離の原則に大きく反しますが、氏子の人々によって支えられた様々な祭事を民俗行事として位置づけ、保存継承することを広く知っていただくことを目的として広報することは、この「目的効果基準」からして政教分離に該当しないと判断されます。

■奉納芸能(災払い)

■奉納芸能(鉦風流)

■奉納芸能(獅子舞)

■奉納芸能(大名行列)
同じ様な行為として、国宝や重要文化財である寺社建築の保存修理に文化庁補助金が投じられていますが、これは政教分離に抵触しません。何故なら、寺社建築の技術や意匠、背景にある歴史としての宗教観念を記録し後世に伝えていくことを目的としているためで、国民の思想信条を統制するために特定寺社建築を保存修理しているのではないからなのです。

■熊本地震で倒壊した阿蘇神社社殿(国指定重要文化財)

■平成の大修理が終わった高良大社(国指定重要文化財)
(高良の神さまは、荒穂の神さまと力比べをした昔話が残されています。)
政教分離とは何かを知った上で、議論を深めていく必要があります。