2017年12月30日

基山町小倉と太宰府天満宮

 我が町基山に大字小倉という地名があります。現在の行政区で北は6区から南は5区まで、基山町の北西部を占めています。
 特に5区は、古代末期から中世の時期の小倉庄があった地として古くから知られ、鎮守としての老松神社があります。
基山町小倉と太宰府天満宮
■基山町小倉にある老松神社

 実は、基山の歴史を紐解くと、この小倉庄と太宰府天満宮とは深いつながりがあったのです。
 太宰府天満宮宮司家は、現在は西高辻家ですが、明治の廃仏毀釈以前は大鳥居家として知られています。この大鳥居家のご先祖様は、菅原道真公につながっていきますが、平安時代末期に菅原道真公の直系菅原長者在良【ありよし】の弟で善弘が、下向してきた地が実は安楽寺領肥前国小倉庄、現在の基山町小倉だったのです。安楽寺とは、現在の太宰府天満宮のことで、鎌倉時代までは安楽寺、鎌倉時代中頃から天満宮・安楽寺・天満宮安楽寺、戦国時代から次第に天満宮・太宰府天満宮となり、明治時代の廃仏毀釈によって安楽寺は廃され、太宰府神社となり、第二次世界大戦後再び社名を太宰府天満宮としたと古文書資料にたどることができます。
 この善弘の子善昇【ぜんしょう】(信貞【しんてい】)が、鎌倉時代初頭に安楽寺へ入り、別当職を務めます。その善昇(信貞)の嫡子信証が天満宮南西の大鳥居(現延寿王院前の石製鳥居)のそばに居住したことから大鳥居氏に、二子信実が小鳥居氏に、三子浦次郎は浦ノ坊を称します。
基山町小倉と太宰府天満宮
■太宰府天満宮境内地、延寿王院前にある石製鳥居
(太宰府天満宮境内地内の最古の鳥居)

 太宰府天満宮宮司家である大鳥居家のご先祖様は、我が町基山の小倉へ最初に入って来られたのでした。



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Posted by 基山の歴史と文化を語り継ぐ会  at 14:55 │Comments(0)基山の文化遺産

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