2015年11月26日
遺跡で確認される建物の大きさ
今年、築造1350年を迎えた基肄城跡には、南水門跡をはじめ基肄城を表現する多くの防御施設が確認されています。その中の一つに、防御すべき施設として40棟を超える建物跡が確認されていますが、これらの建物の大きさを表現する方法に、「■間×■間」という柱間の数で表現します。基肄城が築かれ、再整備された飛鳥時代から奈良時代の建物跡は、正方形・長方形の規格を持っており、長方形であれば短い辺を梁、長い辺を桁で表現し、「桁行■間×梁行■間」の規模の建物と表現しています。また、柱間の距離を計測することで、入口の位置や一見同一の建物と考えられるものでも、二棟の建物があったことが分かるなど、柱間の距離をmm単位で計測することで、新たな所見が見えてくることもあります。

基肄城跡にある最も大きな建物は、基山山頂の展望台から東におりた場所にある「大礎石群」で、桁行10間×梁行3間の建物として知られています。柱間について、よくお尋ねがありますが、基肄城跡の建物については、礎石は確認されていますが、木柱そのものが残されていないため、明らかにすることができません。礎石の真ん中付近を柱があったと仮定して、柱間の距離とすることはありますが、あくまでも仮定での柱間の距離ということになります。大礎石群の柱間は、九州大学名誉教授であった鏡山猛先生の実測によると、桁行が2.78m、梁行が2.94mを測ります。ただし、尺記載法をメートル法に換算していますので、現代の技術で再度計測する必要があるでしょう。
最もいい条件下では、発掘調査で埋没していた礎石や、掘立柱建物の柱を据えた穴を注意深く観察することで、木柱や木柱があった場所を示す痕跡を確認することができます。また、木造建築の利点とでもいえる柱ごとに修理回数が異なっている痕跡を確認することもできます。
昨今、礎石の縁を意図的に掘り起こした跡や、礎石そのものを露出させるような「悪戯」を見かけるようになりました。このような行為は、得られるはずだった過去の情報を、雨ざらしにすることで失うことにつながります。個人の興味が記録として多くの方々に共有されない残念な行為となりますので、厳にやめていただきたいと思います。

基肄城跡にある最も大きな建物は、基山山頂の展望台から東におりた場所にある「大礎石群」で、桁行10間×梁行3間の建物として知られています。柱間について、よくお尋ねがありますが、基肄城跡の建物については、礎石は確認されていますが、木柱そのものが残されていないため、明らかにすることができません。礎石の真ん中付近を柱があったと仮定して、柱間の距離とすることはありますが、あくまでも仮定での柱間の距離ということになります。大礎石群の柱間は、九州大学名誉教授であった鏡山猛先生の実測によると、桁行が2.78m、梁行が2.94mを測ります。ただし、尺記載法をメートル法に換算していますので、現代の技術で再度計測する必要があるでしょう。
最もいい条件下では、発掘調査で埋没していた礎石や、掘立柱建物の柱を据えた穴を注意深く観察することで、木柱や木柱があった場所を示す痕跡を確認することができます。また、木造建築の利点とでもいえる柱ごとに修理回数が異なっている痕跡を確認することもできます。
昨今、礎石の縁を意図的に掘り起こした跡や、礎石そのものを露出させるような「悪戯」を見かけるようになりました。このような行為は、得られるはずだった過去の情報を、雨ざらしにすることで失うことにつながります。個人の興味が記録として多くの方々に共有されない残念な行為となりますので、厳にやめていただきたいと思います。