2023年05月30日

■大興善寺の古さを物語る石塔(その1)

 再び、大興善寺の話題に戻ります。

 ここまで紹介してきた大興善寺の宝篋印塔は、江戸時代後期の作でした。
 本堂向って左側にある宝篋印塔も、隅飾りの形から同じ時代の所産だと考えられ、現在の大興善寺にある石塔群が江戸時代のものばかりかと思われますが、山門を抜け寺域に入って右側に、「小松内府の塔」と記され「平重盛公の遺髪を埋めた供養塔」が五重の石塔として建っています。伝承だけをみると「平重盛」公ですので平安時代後期以降のものといえますが、詳細は定かではありません。最上部の相輪部分のみが異質に見え、別の石塔の部材が置かれている後補の可能性がありますが、一方で積層する五重塔部分は積み替えによって立ち姿のバランスが崩れていますが、軸部と屋根を一対の一石でつくり出し、積層させるという形態を持ち、屋根部の意匠が四隅を跳ね上がらせる形状ではないことから、鎌倉時代後期の所産である可能性があります。

■大興善寺の古さを物語る石塔(その1)
●大興善寺の層塔

 大興善寺の縁起は、奈良時代の養老元年(717)に僧行基によって開山されたとされ、承和14年(847)に慈覚大師円仁によって再興されたと伝えられています。また、国指定重要文化財に指定されている木造多聞天立像、木造広目天立像が平安時代後期の作で、大興善寺の古さを物語っていますので、この層塔も宝篋印塔よりは古く、大興善寺の古さを物語る物証といえます。



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Posted by 基山の歴史と文化を語り継ぐ会  at 21:19 │Comments(0)基山の文化遺産

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