2020年03月22日
■境界に建つお地蔵さん
お釈迦さまが入滅された後、弥勒菩薩様が現世に御出でになるまでの間、仏不在となることから、私たち衆生を救うために様々な世界に現れてくださる菩薩様が地蔵菩薩様です。地蔵菩薩様は、生まれて間もなく命を落とした赤子らが、「親孝行の功徳」を積んでいないがゆえに三途の川を渡れず、賽の河原の鬼たちに石塔婆をつくり続けなければならない苦行を背負わされ苦しんでいる様を救うために、賽の河原に足を運び仏法などを説き、徳を与え成仏への道を開いていくという逸話がよく知られています。
地獄から天までさまざまな世界で、私たちをお救いくださることを表現し、墓地の入り口に置かれるのが六地蔵様です。「地獄道」「餓鬼道」「畜生道」「修羅道」「人(間)道」「天(王)道」の順で集落側から墓地へむけて並べられています。墓地の入り口は、いわば「あの世」と「この世」とを分かつ場として考えられ、「賽の河原」で衆生に仏法などを説き成仏への道を開いてくださる「地蔵様」を表現しています。
一方、街道筋などで集落の内外を分かつ場にも六地蔵様が塔状の石造物としてお見かけすることがあります。これは、集落の中は「この世」、一歩外へ出ると山賊・盗賊などに出遭い、命の危険を伴う場、一歩間違えば「あの世」へと行ってしまう場として考えられ、「この世」と「あの世」との境として認識されていたのです。
昨日、長崎街道とは異なり有明海沿いを通る竹崎海道を歩いてきました。その道すがら見つけた六地蔵さんが、墓地の入り口と湯江宿の内外を分かつ場に建てられていました。

【※現地には、、歴史的景観には相応しくない携帯基地局が背後にありますが、写真処理で削除しています。】
海道筋には、塔状の石造物としてつくられている六地蔵さん(六地蔵②)が、墓地側には「この世」と「あの世」を分かつ、六道を記した六地蔵さん(六地蔵①)が「同居」していました。

【手前の石造物が六地蔵②】

【六地蔵①】
さらに興味深かったのは、かつて街道(海道)が機能していた頃、集落の入り口までたどり着いたけれど、命を落とした方々をはじめ、無縁の死者を弔ったであろう「三界萬霊」と記した地蔵さんも建てられていました。

【台座に「三界萬霊」と記されています。】
「この世」と「あの世」を分かつお地蔵さん。
我が町基山にも各所でみることができます。一度、探してみてください。
地獄から天までさまざまな世界で、私たちをお救いくださることを表現し、墓地の入り口に置かれるのが六地蔵様です。「地獄道」「餓鬼道」「畜生道」「修羅道」「人(間)道」「天(王)道」の順で集落側から墓地へむけて並べられています。墓地の入り口は、いわば「あの世」と「この世」とを分かつ場として考えられ、「賽の河原」で衆生に仏法などを説き成仏への道を開いてくださる「地蔵様」を表現しています。
一方、街道筋などで集落の内外を分かつ場にも六地蔵様が塔状の石造物としてお見かけすることがあります。これは、集落の中は「この世」、一歩外へ出ると山賊・盗賊などに出遭い、命の危険を伴う場、一歩間違えば「あの世」へと行ってしまう場として考えられ、「この世」と「あの世」との境として認識されていたのです。
昨日、長崎街道とは異なり有明海沿いを通る竹崎海道を歩いてきました。その道すがら見つけた六地蔵さんが、墓地の入り口と湯江宿の内外を分かつ場に建てられていました。

【※現地には、、歴史的景観には相応しくない携帯基地局が背後にありますが、写真処理で削除しています。】
海道筋には、塔状の石造物としてつくられている六地蔵さん(六地蔵②)が、墓地側には「この世」と「あの世」を分かつ、六道を記した六地蔵さん(六地蔵①)が「同居」していました。

【手前の石造物が六地蔵②】

【六地蔵①】
さらに興味深かったのは、かつて街道(海道)が機能していた頃、集落の入り口までたどり着いたけれど、命を落とした方々をはじめ、無縁の死者を弔ったであろう「三界萬霊」と記した地蔵さんも建てられていました。

【台座に「三界萬霊」と記されています。】
「この世」と「あの世」を分かつお地蔵さん。
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『第16回きやま展 きやま創作劇を深く知る』展開催
■令和5年度歴史散歩開催
■歴史散歩現地研修
■第7回きやま創作劇をふか〜く知る(その30)
■第7回きやま創作劇をふか〜く知る(その29)
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