2023年08月31日

■第7回きやま創作劇をふか〜く知る(その28)

■九州鉄道 基山驛開業(その2)

 この、九州鉄道会社による、鉄道敷設の歴史は、文字で知るほど簡単なものではなかったようです。
 日本近代において明治2年(1869)にわが国の鉄道起業を決定し、その3年後の明治5年(1872)に東京~横浜間、その2年後の明治7年に大阪~神戸間の官営鉄道が開通します。しかし、明治政府の財政難により、その後の鉄道事業は民間事業者に委ねられ、前に進まない状況に陥っています。

 九州最初の鉄道である博多~久留米間の鉄道敷設は、明治13年(1880)7月20日の『福岡日日新聞』によると、久留米側の有志者の熱心な取組や明治15年(1882)からの岡田孤鹿(ころく)氏【柳川ご出身の活動家・県議会副議長】の活発な活動によって実現へむけて動き出したと伝えられています。
 その後、福岡県議会で鉄道敷設について活発に議論が交わされ、反対派、賛成派の記録が残されています。賛成派は、敷設のための資金はつくればよい、軍事的・文化的側面から富国強兵のために敷設すべきという意見に対し、反対派は、九州は海運の土地柄であり鉄道は不要、筑後川の治水ままならぬ時に優先順位は治水問題という意見が出ています。
 また、佐賀県内で議論が高まらなかった理由に、基山、田代など県東部の一部の利便性向上のみで、全県までその利益が享受できないという側面がありました。それを打開する方法として長崎県も加えた佐世保鎮守府と熊本鎮台とを結ぶための長崎・佐世保線の同時敷設案もこの頃浮上していたようです。
 このような紆余曲折、様々な議論が交わされ、明治20年(1887)1月25日に「九州鉄道創立願」が民間側から提起されます。それまでの福岡県・佐賀県・熊本県の各県知事、また地方行政府・経済界の人々の度重なる議論が交わされ、九州鉄道開業までの9年という歳月には実に多くの人々を巻き込み、苦難の連続でした。

 実際の施工においても、我が町基山を通る現在のJR鹿児島線は、まずは明治22年(1889)12月13日に博多~千歳川(筑後川)間が開業します。久留米側の駅として「千歳川仮停車場」までが開通と知られていますが、これは明治22年夏の豪雨による洪水被害で千歳川(筑後川)鉄橋が竣工していなかったため、千歳川北岸に仮停車場を設けて営業が開始されたものです。翌明治23年(1890)3月には博多~久留米間が開通しています。

■第7回きやま創作劇をふか〜く知る(その28)
【開通当時の面影を今に伝えていた三国レンガアーチ橋】

 筑後川の古い呼称である「千歳(千年)川」。江戸時代に一旦「筑後川」に統一されながら、明治22年の九州鉄道開通時には再び「千歳川」の名称が復活しています。江戸時代の「御上」が決めた名称が、一般民衆まで広がっていなかった証なのかもしれませんね。

※「三国煉瓦アーチ橋」については、2018年11月28日の「煉瓦の積み方の話(その3)にて紹介していますので、そちらも御覧ください。



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Posted by 基山の歴史と文化を語り継ぐ会  at 06:27 │Comments(0)参画事業基山の文化遺産関連する文化遺産

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