2019年10月20日

■種子島へ行く

 去る10月18日・19日の両日、鹿児島県の種子島へ、当会と活動を共にする基肄かたろう会のメンバーと行ってきました。
 肌寒さを感じる18日の早朝に基山を立ち、正午には種子島の西之表港に到着。基山とはうってかわってセミが鳴く暑い環境に、日本の「広さ」を体感したところです。
 二日間、基肄かたろう会メンバーの中のお一人の御出身地ということもあり、ご家族の心温まるおもてなしを受け、種子島を満喫することができました。この場をお借りして、心より深く感謝申し上げます。

■種子島へ行く
●種子島といえば「種子島宇宙センター」

 種子島は、九州本島と異なる部分、似た部分、はたまた畿内の雅な言葉など、島嶼部特有の歴史と文化を知ることができます。平安時代以降、中国への渡航路としてメインストリート化していく琉球弧の、北の玄関口とでもいえる種子島は、天武6年(677)に「多禰島人」の文字が見え、その後、対馬、壱岐と同じく多禰嶋として大和政権下に置かれることになり、奄美大島や喜界島などの南島文化というよりは、西之表市の鉄砲館に展示してある古代の土器・陶磁器を実見する限り、九州本土的文化圏に属しています。

■種子島へ行く
●弥生時代の貝製アクセサリーで知られる広田遺跡
■種子島へ行く
●マリンブルーの種子島の海

 一方で、琉球弧の島々同様、神社が多く、九州本土や畿内にある神社と同名の神社が複数社あり、創建が平安時代後期から鎌倉時代まで遡るものが4社ほどあるなど、博多・堺と中国・韓国を結ぶ中世商人たちが行き交う場、寄港地としての性格もみえてきます。さらに、創建は古代・中世の寺院が、明治時代の廃仏毀釈で神社へ移行するなど、天満宮安楽寺が太宰府神社(現在の太宰府天満宮)へと移行した歴史的共通性に興味が湧きました。

■種子島へ行く
●南種子町にある宝満神社

 また、地元の地名研究会との交流会では、「御器」という用語が今も使われていることを知り、平安時代後期から活発化する中世商人たちが持ち込んだと想像できる京文化の残影をみた気がしました。

 多くの地をみることで、我が町基山の地理的、歴史的、そして社会的位置が相対化されていきます。
 今回も、多くの方々にお世話になりました。ありがとうございました。
 また、参加された皆さん、お疲れさまでした。



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Posted by 基山の歴史と文化を語り継ぐ会  at 18:53 │Comments(0)関連する文化遺産活動・報告日記

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