2019年05月02日
■近世以前の天皇制
令和元年(2019)5月1日(水)午前0時から令和の世になり、上皇陛下の御世を引き継ぎ今上天皇が即位されました。
5月1日発行の新聞朝刊19面に「歴代天皇一覧」が「元号 歴史をたどる」として掲載されていました。様々なことを読み取ることができる貴重な資料で、第1代神武天皇から第126代今上天皇までの流れを見ることができます。
よく知られたこととして、8人の女性天皇(重祚された皇極天皇・斎明天皇と孝謙天皇・称徳天皇がおられるので、在位された天皇としては10名)がおられます。女性天皇が即位された経緯は歴史が物語るように、覇権を争う政争への対応や、前代(夫:天武天皇)の御世の治世安定を意図した対応(妻:持統天皇)、武家とのいざこざへの対応であったりと、ひとかたならぬ情勢が背後に伺えます。
奈良時代に定められた『大宝律令(後年定められた『養老律令』から推定)』には、天皇に関する規定はなく、天皇は法典を超越した存在として捉えられていたと解されています。また、近代(明治22年(1889))に入って『皇室典範』が定められるまで、近世以前の天皇に8人の女性天皇がおられることも、このことから理解できます。
また、我が町基山にゆかりのある天智天皇と天武天皇をみると、現在の今上天皇に継承されてきている皇統は、天智天皇に系譜をたどることができることが分かります。

■特別史跡基肄城跡にある「天智天皇欽仰之碑」
(昭和初期に、県内外からの寄付金をもとに、町民お一人おひとりの手でつくられています。)
話は変わり、伊勢山神社は天皇家の始祖である天照大御神様が祀られ、荒穂神社の御祭神である瓊瓊杵尊様は、第1代神武天皇の曾祖父に、つつじ祭りで賑わう大興善寺の横に鎮座する熊野神社には瓊瓊杵尊様の妻であり神武天皇の曾祖母にあたる木花開耶姫様が、仁蓮寺の八龍天神社の御祭神である彦火火出見尊様は、神武天皇の祖父に、小倉の老松神社の末社に祀られている鸕鶿草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)様は父にあたります。また、北奈良田・辻・向平原にある八幡神社の御祭神は応神天皇、木山口にある若宮八幡神社の御祭神は、大鷦鷯尊(おおささぎのみこと 仁徳天皇)で、八幡神社の御祭神である応神天皇の皇子であることから、「若宮」の称が冠されています。
こうみてくると、我が町基山は、新元号「令和」に関わる万葉集はもとより、天皇家に関わる文化遺産が特別史跡基肄城跡も含め、ここかしこにあることが分かります。
我が町基山で、『万葉集』の原風景を体感し、今上天皇の御世が平和な世の中であることを願い、「令和」の世に幸あらんことを祈ります。

※私事ですが、明治・大正・昭和・平成、そして令和と「五元号」を生き抜いている祖母がいます・・・。
5月1日発行の新聞朝刊19面に「歴代天皇一覧」が「元号 歴史をたどる」として掲載されていました。様々なことを読み取ることができる貴重な資料で、第1代神武天皇から第126代今上天皇までの流れを見ることができます。
よく知られたこととして、8人の女性天皇(重祚された皇極天皇・斎明天皇と孝謙天皇・称徳天皇がおられるので、在位された天皇としては10名)がおられます。女性天皇が即位された経緯は歴史が物語るように、覇権を争う政争への対応や、前代(夫:天武天皇)の御世の治世安定を意図した対応(妻:持統天皇)、武家とのいざこざへの対応であったりと、ひとかたならぬ情勢が背後に伺えます。
奈良時代に定められた『大宝律令(後年定められた『養老律令』から推定)』には、天皇に関する規定はなく、天皇は法典を超越した存在として捉えられていたと解されています。また、近代(明治22年(1889))に入って『皇室典範』が定められるまで、近世以前の天皇に8人の女性天皇がおられることも、このことから理解できます。
また、我が町基山にゆかりのある天智天皇と天武天皇をみると、現在の今上天皇に継承されてきている皇統は、天智天皇に系譜をたどることができることが分かります。

■特別史跡基肄城跡にある「天智天皇欽仰之碑」
(昭和初期に、県内外からの寄付金をもとに、町民お一人おひとりの手でつくられています。)
話は変わり、伊勢山神社は天皇家の始祖である天照大御神様が祀られ、荒穂神社の御祭神である瓊瓊杵尊様は、第1代神武天皇の曾祖父に、つつじ祭りで賑わう大興善寺の横に鎮座する熊野神社には瓊瓊杵尊様の妻であり神武天皇の曾祖母にあたる木花開耶姫様が、仁蓮寺の八龍天神社の御祭神である彦火火出見尊様は、神武天皇の祖父に、小倉の老松神社の末社に祀られている鸕鶿草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)様は父にあたります。また、北奈良田・辻・向平原にある八幡神社の御祭神は応神天皇、木山口にある若宮八幡神社の御祭神は、大鷦鷯尊(おおささぎのみこと 仁徳天皇)で、八幡神社の御祭神である応神天皇の皇子であることから、「若宮」の称が冠されています。
こうみてくると、我が町基山は、新元号「令和」に関わる万葉集はもとより、天皇家に関わる文化遺産が特別史跡基肄城跡も含め、ここかしこにあることが分かります。
我が町基山で、『万葉集』の原風景を体感し、今上天皇の御世が平和な世の中であることを願い、「令和」の世に幸あらんことを祈ります。

※私事ですが、明治・大正・昭和・平成、そして令和と「五元号」を生き抜いている祖母がいます・・・。
■令和6年度基肄城関連事業終了
■基肄城顕彰建造物 往時の景観を取り戻す
■『基肄城を未来へつなぐ』企画展 開催中
■令和6年度クロスロード文化講演会
■令和6年度 第8回きやま創作劇公演
■基肄城月間
■基肄城顕彰建造物 往時の景観を取り戻す
■『基肄城を未来へつなぐ』企画展 開催中
■令和6年度クロスロード文化講演会
■令和6年度 第8回きやま創作劇公演
■基肄城月間