2018年06月14日

■「草莽の民」(その2)

■「草莽」とは
 今回の創作劇は、副題として「~明治基山に生きた人達~」とし、時代設定は、明治維新、すなわち幕末から明治初期の24年間を舞台背景としています。

 この時期といえば、長州藩士久坂玄瑞(くさかげんずい)が土佐藩士武市半平太(たけちはんぺいた)宛の書状に記した「草莽志士糾合義挙(そうもうのししきゅうごうぎきょ)・・・。」の文言が思い起こされます。この手紙は、記された文言を見た坂本龍馬が土佐藩脱藩を決意した手紙として知られています。そこに込められた思いには、長州藩士で思想家、教育者として知られる吉田松陰(よしだしょういん)が提起した「草莽崛起論(そうもうくっきろん)」に影響を受けています。

■「草莽の民」(その2)
■「草莽の民」(その2)
■吉田松陰を輩出した長州藩の藩校「明倫館」
(現:萩市立明倫小学校)

 嘉永6年(1853)に「襲来」した黒船来航に始まる欧米列強と相対する日本の国情を見た吉田が、「これからの日本は藩や武士という枠組みにとらわれず国民一人ひとりが立ち上がり、国の行く末を考え行動すべきである。」という意を込め、孟子の言である国に仕えない臣民が立ち上がるという意から「草莽」という言葉を使い、この思想にのった言葉として久坂が「草莽志士」として記しています。
■「草莽の民」(その2)
■坂本龍馬像(長崎市)
 【藩の枠にとらわれず世界を相手に躍動した坂本龍馬】
■「草莽の民」(その2)
■坂本龍馬が立ち上げた日本で最初の会社組織「亀山社中」(長崎市)

 封建主義社会から資本主義社会へ動く激動の中、国の行く末を考え、原動力となり官位も地位も無く躍動した、まさに草莽の民が今回の創作劇の主役たちなのです。



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Posted by 基山の歴史と文化を語り継ぐ会  at 06:00 │Comments(0)参画事業

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