2018年04月03日
■「大行事」塔
我が町基山の秋の大祭・御神幸まつりで知られる荒穂神社へ上る道沿い、明治32年(1902)に仁蓮寺の方々によって寄進された荒穂神社旗立て石の近くに、「大行事」と記された石塔が建っています。

今週の日曜日、桜の花びら舞う中に建つ姿に、これは「何の石碑?」と思われた方、知的欲求が衰えておられない証拠かも・・・。
読めば「大行事」と書いてあります。「何かの行事を行った記念碑?」「ここで、何かすごいことが行われる場所を示すもの?」など、その文字から、いろいろと想起されたのではないでしょうか。

■大行事塔
(神仏に関係するものですので「碑」ではなく「塔」と記しています)
これは、「行事」に重きを置くのではなく、「大行事権現」として仏が神の御姿で請来され、衆生を救済されるという考えに基づく石塔です。
天台宗の総本山延暦寺ある比叡山には、守護神大山咋神(別名 山王)をはじめとする二十一神を祀る山王二十一社があり、その中のひとつ大行事権現を現し、天台宗の拡大とともに各地に広がっていきます。
日本古来の八百万の神々は、本来仏が化身として日本に現れた権現であるとする考えで、仏を本地、権現である神々を垂迹とする本地垂迹説に基づいています。鎌倉時代に神仏習合として定着し、明治時代の神仏分離令によって衰退していった思想です。垂迹としての大行事権現の本地は毘沙門天で、持国天などと四天王の御一人として寺院などで拝することができます。福の神の御一人としても知られ恵比寿神・大黒天とともに七福神の中に名を連ねられています。
話を戻して、この「大行事」塔は、先にも記しましたが天台宗の寺院の拡大に伴い各地に広がり、大行事神社として祀られているところもあります。天の意思(大勅)をして天位(天帝)の行いを実践する事として「大行事」と記され、天台宗の総本山延暦寺の守護神から集落の守り神へ、そして穀物の神へと意味が変化し人々に祀られています。
基山にもここを含め数ケ所あり、大行事塔の前で、かつては毎年の神事と併せて奉納相撲が行われるところもありましたが、今では神事のみが行われています。

今週の日曜日、桜の花びら舞う中に建つ姿に、これは「何の石碑?」と思われた方、知的欲求が衰えておられない証拠かも・・・。
読めば「大行事」と書いてあります。「何かの行事を行った記念碑?」「ここで、何かすごいことが行われる場所を示すもの?」など、その文字から、いろいろと想起されたのではないでしょうか。

■大行事塔
(神仏に関係するものですので「碑」ではなく「塔」と記しています)
これは、「行事」に重きを置くのではなく、「大行事権現」として仏が神の御姿で請来され、衆生を救済されるという考えに基づく石塔です。
天台宗の総本山延暦寺ある比叡山には、守護神大山咋神(別名 山王)をはじめとする二十一神を祀る山王二十一社があり、その中のひとつ大行事権現を現し、天台宗の拡大とともに各地に広がっていきます。
日本古来の八百万の神々は、本来仏が化身として日本に現れた権現であるとする考えで、仏を本地、権現である神々を垂迹とする本地垂迹説に基づいています。鎌倉時代に神仏習合として定着し、明治時代の神仏分離令によって衰退していった思想です。垂迹としての大行事権現の本地は毘沙門天で、持国天などと四天王の御一人として寺院などで拝することができます。福の神の御一人としても知られ恵比寿神・大黒天とともに七福神の中に名を連ねられています。
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■令和6年度基肄城関連事業終了
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■『基肄城を未来へつなぐ』企画展 開催中
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