2023年08月25日

■第7回きやま創作劇をふか〜く知る(その23)

■「椽」「基肄」(その4)

 前回お伝えしたように「きい」にあてられる漢字は、「椽」「基肄」「基肆」「記夷」の4種が日本古代では確認できます。

 中でも注目すべきは、平安時代中期の作とされる『倭名類聚抄』に記された「基肄」のよみとして「木伊」と併記され「きい」とよむことが分かります。「基肄」以外にも、この『倭名類聚抄』には、「養父也布(やふ)」「米多女多(めた)」「神埼加無佐岐(かんさき)」と私たちにとって身近な地名によみが記されています。加えて、日本古代の情報伝達手法である「烽燧」を「度布比(とぶひ)」とよむことも『倭名類聚抄』に記されています。
 また、『延喜式』巻22民部省上の平安時代後期の最古の写本にも「基肄」のよみとして「支い」と記され「きい」とよむことが分かります。

■第7回きやま創作劇をふか〜く知る(その23) 【平安時代後期の写本】
「延喜式巻二十二」東京国立博物館所蔵資料
出典:国立文化財機構所蔵品総合検索システム
写真データを抽出改変 


 余談ですが、『倭名類聚抄』は、醍醐天皇第四王女勤子内親王(天慶元年(938)11月5日没 35歳)の要請で作成された「漢和対訳辞書」(当初十巻本、後に二十巻本へ)で、平安時代中期には漢文読者層の拡大に伴い、限られた識字層から広範な教養層まで浸透していった結果、多くの漢字表現に対して、別の漢字でよみを付すことが求められ作成されています。平安時代中期頃のよみ仮名を知る上でとても参考になります。
 作者は源順(みなもとのしたごう)で、作られた年代から若干24歳の青年の時の作であったと考えられています。

※「椽」「基肄」「基肆」「記夷」の表記については、『基山町史 資料編』第2編古代解説229頁~230頁にも見解が記されていますので併せてご覧ください。



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Posted by 基山の歴史と文化を語り継ぐ会  at 06:28 │Comments(0)参画事業基山の文化遺産関連する文化遺産

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