2023年08月22日

■第7回きやま創作劇をふか〜く知る(その20)

■「椽」「基肄」(その1)

 「きいじょう」を表記する場合、史跡名称として「椽」と「基肄」の両者が記されています。どちらも歴史的には正しいのですが、何故、この二つの表記があるのかは、「きいじょう」を語る上で知っておく必要があります。
 本ブログでも「■基肄城のお話(その1)」2014年5月3日にて簡単に記していましたが、もう少し立ち入ってお話しておきましょう。

■第7回きやま創作劇をふか〜く知る(その20) ■第7回きやま創作劇をふか〜く知る(その20)
【左:史蹟石標 右:特別史跡石標】

 表記されている文字のみをとると、「椽」も「基肄」も日本古代の歴史書である『日本書紀』『続日本紀』に記された文字を史跡名称としていることは知られていることです。では、二つの歴史書に記されている「きいじょう」を表現する文字が、何故、「椽」と「基肄」の二つの表現が取られているのでしょうか。

 そもそも「きい」という呼称はどこに由来するのかといえば、奈良時代に記された『肥前国風土記』に、景行天皇の御世、高良山へ御行幸された際に、「霧多き山(きいのやま)」をみて、「彼その国は、霧の国と謂いうべし」と宣われたことから、「きいのくに(基肄国)」と名付けられたと伝えられ、その山を「基肄之山」と呼称されています。この「基肄之山」が、基肄城がある基山(きざん)かどうかの確証は得られませんが、そこに築かれし城として「きのき」「きいのき」「きいじょう」と呼称されていると想像できます。基肄城が造営された時期と『肥前風土記』が記された時期に前後があるため、先にあった「基肄城」を意識して『肥前風土記』は記された可能性があります。

■第7回きやま創作劇をふか〜く知る(その20)
【高良山から見た基山(きざん)】



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Posted by 基山の歴史と文化を語り継ぐ会  at 19:32 │Comments(0)参画事業基山の文化遺産関連する文化遺産

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