2023年08月17日
■第7回きやま創作劇をふか〜く知る(その15)
■「天智天皇奉賛銅柱(天智天皇欽仰之碑)」建設(その3)
これまで「天智天皇奉賛銅柱」「天智天皇欽仰之碑」の二つの呼称を行ってきました。
現存する碑には後者が肥前出身眞崎陸軍中将筆の銘文として記されていますので、「天智天皇欽仰之碑」として知られていますが、地元の方々は「奉賛塔」と呼称され、肥前史談会が一貫して使ってきた「奉賛銅柱」を元とする呼称が継承されているかのようです。また建設予定地を表す「天智天皇奉賛銅標建設予定地」の木標を写した写真資料も遺され、当時の関係する佐賀新聞の記事からも、竣工前までの各種資料には「天智天皇奉賛銅」までを一致させた呼称が一般的であったと分かります。
しかし、竣工した碑には「欽仰之碑」と改められており、その行為の過程を物語るように「奉賛」から「欽仰」へ、いわば「敬意をもってご奉仕した」結果として碑は竣工し、当初の目的であった天智天皇御姿の像を建てることが内務省の御許しが出ずに叶わなかったものの、その碑には天智天皇を「仰ぎ見る」と記されていることになります。

【天智天皇欽仰之碑】
これまで「天智天皇奉賛銅柱」「天智天皇欽仰之碑」の二つの呼称を行ってきました。
現存する碑には後者が肥前出身眞崎陸軍中将筆の銘文として記されていますので、「天智天皇欽仰之碑」として知られていますが、地元の方々は「奉賛塔」と呼称され、肥前史談会が一貫して使ってきた「奉賛銅柱」を元とする呼称が継承されているかのようです。また建設予定地を表す「天智天皇奉賛銅標建設予定地」の木標を写した写真資料も遺され、当時の関係する佐賀新聞の記事からも、竣工前までの各種資料には「天智天皇奉賛銅」までを一致させた呼称が一般的であったと分かります。
しかし、竣工した碑には「欽仰之碑」と改められており、その行為の過程を物語るように「奉賛」から「欽仰」へ、いわば「敬意をもってご奉仕した」結果として碑は竣工し、当初の目的であった天智天皇御姿の像を建てることが内務省の御許しが出ずに叶わなかったものの、その碑には天智天皇を「仰ぎ見る」と記されていることになります。

【天智天皇欽仰之碑】
■令和6年度基肄城関連事業終了
■『基肄城を未来へつなぐ』企画展 開催中
令和6年度きやま創作劇『永遠(トワ)に君思う』始まり!
■令和5年度歴史散歩開催
■第7回きやま創作劇「むすび」の会
■「第15回きやま展」展示替え
■『基肄城を未来へつなぐ』企画展 開催中
令和6年度きやま創作劇『永遠(トワ)に君思う』始まり!
■令和5年度歴史散歩開催
■第7回きやま創作劇「むすび」の会
■「第15回きやま展」展示替え