2023年08月09日

■第7回きやま創作劇をふか〜く知る(その7)

■久保山善映先生の想い(その4)

 ふたたび久保山先生の想いへ戻りましょう。
 
 大正2年(1913)7月の東京帝国大学関野 貞教授によって基山(きざん)にある石塁・土塁、礎石建物が基肄城であることが確定されますが、誰も興味を示してくれない基肄城。一方で、古代日本の地方官衙として最大規模を誇る大宰府の中心的な史跡が史蹟指定されていく様を、久保山先生はここ基山で見ておられたと思います。

 実際に、「専念寺資料」の中に、水城跡西門付近から現在のJR水城駅方向を撮影した写真や水城跡東門礎の写真などが遺されていますので、太宰府にも頻繁に行かれていたことが分かります。

 大正11年(1922)8月には行政通達による史蹟石標が「太宰府阯」「水城阯」として建てられ、それに呼応するかのように先に記しましたように基肄城跡にも佐賀縣によって大正13年(1924)に石標が建てられています。

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■第7回きやま創作劇をふか〜く知る(その7) ■第7回きやま創作劇をふか〜く知る(その7)
■第7回きやま創作劇をふか〜く知る(その7) 【5つの「遺構説明」石標写真】

 時は流れ、内治優先の政策に基づく殖産興業を進める中で取り組まれた日本の物産博覧会を所管し、「記録古蹟等の保存」を担っていた内務省から、思想・信条・教育を所管する文部省へと史蹟名勝天然紀念物保存法の所管が昭和3年(1928)11月6日の勅令第2869号によって移されます。

 この頃から、久保山先生は積極的に基肄城についての論文や報告を「肥前史談」「佐賀縣史蹟名勝天然紀念物調査報告 第一輯」として出されていきます。併せて肥前史談会主催の基肄城見学会や観月会が盛んに行われ、佐賀縣当局から修学旅行の適地として基山(きざん)が推奨され多くの人々が訪れるようになっていきました。

 次第に、国の史蹟として指定される「べき」とする機運が高まっていったことは、容易に想像できます。

 「史蹟指定されるには、何が基肄城に足りないのか。」 そう考えた時 誰しも頭をよぎった 


 ・・・・・・・・・ 「史蹟指定のための基準」は何?



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Posted by 基山の歴史と文化を語り継ぐ会  at 20:02 │Comments(0)参画事業基山の文化遺産関連する文化遺産

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