2023年08月02日

■第7回きやま創作劇をふか〜く知る(その5)

■日本近代における文化財保護(その2)

 話を戻して、日本近代における「文化財」保護が始まった事の発端は、明治元年(1868)に出された「神仏分離令」を契機とした寺社仏閣にある仏像・仏具の破壊。この廃仏毀釈として一般的に知られる行為によって多くの「文化財」が破壊される事態となり、このことを受けて明治4年(1871)に「古器旧物保存方(こききゅうぶつほぞんかた)」が太政官布告第251号として出され、明治30年(1897)に至り「古社寺保存法」が施行され「特別保護建造物」、「国宝」という名のもとに保護措置がとられるようになります。しかし、事の発端が寺社所有物の打ちこわしからの保護であったことから、保護の対象物は寺社仏閣とその所有物に限定されていました。

■第7回きやま創作劇をふか〜く知る(その5) ■第7回きやま創作劇をふか〜く知る(その5)
【廃仏毀釈によって割られた仏様】
 左:小山観音(基山町小倉) 右:西島如来石像(小郡市西島)

■第7回きやま創作劇をふか〜く知る(その5)
【廃仏毀釈の「嵐」から救われた仏様】
安楽寺(現 太宰府天満宮)から助け出された仏様(招来仏)がある大興善寺

 そのような中、ヨーロッパ世界で「郷土保全」運動に端を発した自然・歴史を総合的に保護する機運が高まり、大正8年(1919)6月1日施行の「史蹟名勝天然紀念物保存法(以下「保存法」)」が制定されることになります。

 ここで久保山先生が選択した史蹟指定、さらには「天智天皇欽仰之碑」建造の意味を理解する上で留意しておかなければならないことは、史蹟や天然紀念物が、純粋に学術的観点から保護されていったのではなく、保存法制定の背後にある「郷土ヲ愛スル心ハ即チ国ヲ愛スル心デアル。」「国粋ヲ保チ、邦土ノ特質ヲ存」するためとした、極めて国家主義的、ナショナリズムを強調し史蹟や天然紀念物保護を進めていくことが、当時の社会情勢として効果的であったという有識者たちの戦略的判断があったことです。いわば「名を捨てて実をとる」ことだったと考えられます。

 余談ですが、当時の考古資料も、天皇家が成立してくる以前、今の時代区分で言えば原始(旧石器時代から古墳時代)の社会は、「古事記」「日本書紀」を尊重する当時の天皇制社会(皇国史観)にとって非常に不都合なモノでしたので、美術品的・鑑賞的な価値に重きをおいた解釈で保存が図られていったことにも、その一端を知ることができます。



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Posted by 基山の歴史と文化を語り継ぐ会  at 19:04 │Comments(0)参画事業基山の文化遺産関連する文化遺産

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