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Posted by さがファンブログ事務局  at 

2020年10月05日

■一里塚

 『国絵図』を描くための「作法」である「国絵図可仕立覚」二十三か条(正保国絵図作成時)をについて記す前に、現存する一里塚を見ておきましょう。



 まずは長崎街道沿いにある一里塚(上の写真)で、佐賀県神埼市にある「ひのはしら一里塚」です。江戸時代に記された記録に「壱里山」と見え、ここにある「火の柱の地蔵菩薩」からこのように呼称されているようです。
 次に、長崎街道の脇街道として知られる多良海道沿いに残されている一里塚跡(下の写真)です。礫を積み上げた石垣のみが現存しています。一見、耕作地の石垣のようにも見えますが、「ひのはしら一里塚」のように、土を盛り、盛り土が崩壊するのを防ぐように石垣で補強されています。

 このような一里塚、一里山と呼称された痕跡が、我が町基山の木山口町の北の入口にあったのかもしれません。
  


Posted by 基山の歴史と文化を語り継ぐ会  at 09:42Comments(0)関連する文化遺産