2015年05月10日
かつてあった石橋
基山町の西側、現在の国道3号線に沿って江戸時代の街道である長崎街道(長崎路)があることはよく知られています。街道の道程については、日を改めて記すとして、この街道にごく最近まで石橋が架かっていたところがあります。
木山口町の北の入口、大字小倉字下桜町です。平成19年に河川改修によってコンクリート橋に架けかえられ、かつての面影を見ることはできません。

■石橋があった場所


■かつてあった石橋
江戸時代には、河川は町場に入るための防御であったり、行き交う牛馬の足を冷やす場であったりと、様々な場面で利用され、江戸時代に描かれた絵図の多くに架橋をうかがう標記を見ることができません。これらのことから、橋は通常架けられていなかったと考えられています。では、この石橋はいつ架けられたのでしょうか。
新たに架けかえられる前に、基山町教育委員会によって記録保存措置がとられ、『基山町史 資料編 77頁~84頁』に記されています。詳細はそちらをご覧ください。町史に記されている報告によると、架橋の際に混じり込んだ食器の破片から、江戸時代のどこかで架橋されていたと考えられています。元禄十三(1700)年に描かれた絵図に記されていないことから、それ以降かもしれません。また、この石橋は架橋に際して、不等沈下を防ぐための胴木を配置するなど強固な基礎工事を行い、その上に花崗岩製の切り石が敷並べられていました。

■今の関屋上橋
今はなくなってしまいましたが、この地に、長きにわたって多くの人びとの往来を支えた文化遺産(石橋)があったことを、記憶の片隅にとどめておいてください。
木山口町の北の入口、大字小倉字下桜町です。平成19年に河川改修によってコンクリート橋に架けかえられ、かつての面影を見ることはできません。

■石橋があった場所


■かつてあった石橋
江戸時代には、河川は町場に入るための防御であったり、行き交う牛馬の足を冷やす場であったりと、様々な場面で利用され、江戸時代に描かれた絵図の多くに架橋をうかがう標記を見ることができません。これらのことから、橋は通常架けられていなかったと考えられています。では、この石橋はいつ架けられたのでしょうか。
新たに架けかえられる前に、基山町教育委員会によって記録保存措置がとられ、『基山町史 資料編 77頁~84頁』に記されています。詳細はそちらをご覧ください。町史に記されている報告によると、架橋の際に混じり込んだ食器の破片から、江戸時代のどこかで架橋されていたと考えられています。元禄十三(1700)年に描かれた絵図に記されていないことから、それ以降かもしれません。また、この石橋は架橋に際して、不等沈下を防ぐための胴木を配置するなど強固な基礎工事を行い、その上に花崗岩製の切り石が敷並べられていました。

■今の関屋上橋
今はなくなってしまいましたが、この地に、長きにわたって多くの人びとの往来を支えた文化遺産(石橋)があったことを、記憶の片隅にとどめておいてください。