2023年05月28日

■宝篋印塔(その1)

 基山町にある大興善寺、つつじ寺、最近では秋の紅葉が美しいお寺として、多くの方々に御出でいただいています。

■宝篋印塔(その1)
●大興善寺

 この大興善寺には、基山町指定重要有形文化財に指定された宝篋印塔があります。
 初夏のつつじ花見の季節に、つつじ園(契園)入口から階段をのぼりますが、その階段の最も上段に聳え立っている石塔が、この宝篋印塔です。

■宝篋印塔(その1)
●大興善寺の宝篋印塔

 享和2年(1802)、江戸時代後期の作で、肥後玉名の名僧豪潮律師によって天明の大飢饉による災難を鎮め鎮魂と諸国安寧を願う気持ちから建立され、大興善寺の宝篋印塔を最初として全国二千を超える石塔を造塔されています。
 その造塔の由来の中に「八萬四千大願」と見え、この「八萬四千」という数値は、釈迦の教えとしての数値であるとともに、インドの阿育王(アショカ王)が釈迦の遺骨(仏舎利)を安置するために築いた塔の数とも言われています。

■宝篋印塔(その1)
●アショカ王造のサンチーの仏塔(インド)

 また、この阿育王の八萬四千塔を造塔した故事にならって、呉越国王銭弘俶が造塔した「阿育王塔」、日本では「銭弘俶八萬四千塔(せんこうしゅくはちまんよんせんとう)」と呼称されている塔にならい「八萬四千」という数字が用いられています。実際のところ「八萬四千」という数字は「無数」を表現するものであり、銭弘俶王も数字どおり造塔したかは定かではないとされています。

■宝篋印塔(その1)
●銭弘俶塔 10世紀【奈良国立博物館HPより】

 この銭弘俶八萬四千塔の形によく似ているものが、宝篋印塔で、その起源とも云われていますが、銭弘俶塔に宝篋印塔のような隅飾り内に「階段状の高まり」がないことから、奈良にある史跡頭塔(ずとう)のような塔婆を須弥壇にのせたものとの解釈もあります。

■宝篋印塔(その1)
●宝篋印塔の部材名称

銭弘俶塔:奈良国立博物館HPにて検索ください。
史跡頭塔:奈良県HPにて検索ください。
 ※奈良県HPでは、「頭塔」を「ずとう」と表記されています。



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