2021年07月23日
■若宮八幡神社(その3)
●関屋土塁の上に鎮座する若宮八幡神社(その1)
江戸時代に長崎街道の間宿として開かれた木山口町の北の玄関口に鎮座するのが若宮八幡神社(以下「若宮さん」)です。この若宮さんが鎮座する場所の東側には、古代大宰府の南の守りである土塁がありました。現在は、JR九州鹿児島線や国道3号、さらには民家建設によって削平され、上町交差点の西側にわずかな起伏として感じられるだけになっています。
この土塁こそ、「関屋土塁」として呼称され、若宮さんが鎮座する千塔山丘陵と東側にある城ノ上丘陵を結ぶ、約275mに築かれていたと考えられます。
昭和23年、24年にアメリカ軍によって撮影された航空写真をもとに、現代の航空写真測量技術を駆使し、旧地形図を復元したものが以下の地図です(基山町史から抜粋)。

この地図の中央やや下に千塔山丘陵が、その千塔山丘陵の東の端に若宮八幡神社があります。この若宮八幡神社が鎮座する箇所は、その地形から自然に形づくられたとは考え難い形をしており、まさに関屋土塁の西の基部であることが読み取れます。また、相対する東側にも城ノ上丘陵の南端に土塁基部とおぼしき張り出しが観察できます。このことから、関屋土塁の規模は、基底幅82.5m~52m、高低差10.3m、全長275mを測り、若宮八幡神社は、この関屋土塁の西の基部の上に建っていることが分かります。
大宰府の北の守りである水城跡が、基底幅80m、高低差9m、全長1.2kmという規模であることを考えると、関屋土塁も長さこそ自然地形を利用していることから短いものの、基底幅や高低差はほぼ同規模であったことが推測できます。
江戸時代に長崎街道の間宿として開かれた木山口町の北の玄関口に鎮座するのが若宮八幡神社(以下「若宮さん」)です。この若宮さんが鎮座する場所の東側には、古代大宰府の南の守りである土塁がありました。現在は、JR九州鹿児島線や国道3号、さらには民家建設によって削平され、上町交差点の西側にわずかな起伏として感じられるだけになっています。
この土塁こそ、「関屋土塁」として呼称され、若宮さんが鎮座する千塔山丘陵と東側にある城ノ上丘陵を結ぶ、約275mに築かれていたと考えられます。
昭和23年、24年にアメリカ軍によって撮影された航空写真をもとに、現代の航空写真測量技術を駆使し、旧地形図を復元したものが以下の地図です(基山町史から抜粋)。

この地図の中央やや下に千塔山丘陵が、その千塔山丘陵の東の端に若宮八幡神社があります。この若宮八幡神社が鎮座する箇所は、その地形から自然に形づくられたとは考え難い形をしており、まさに関屋土塁の西の基部であることが読み取れます。また、相対する東側にも城ノ上丘陵の南端に土塁基部とおぼしき張り出しが観察できます。このことから、関屋土塁の規模は、基底幅82.5m~52m、高低差10.3m、全長275mを測り、若宮八幡神社は、この関屋土塁の西の基部の上に建っていることが分かります。
大宰府の北の守りである水城跡が、基底幅80m、高低差9m、全長1.2kmという規模であることを考えると、関屋土塁も長さこそ自然地形を利用していることから短いものの、基底幅や高低差はほぼ同規模であったことが推測できます。
■令和6年度基肄城関連事業終了
■基肄城顕彰建造物 往時の景観を取り戻す
■『基肄城を未来へつなぐ』企画展 開催中
■令和6年度クロスロード文化講演会
■令和6年度 第8回きやま創作劇公演
■基肄城月間
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