2020年09月25日

■「町」と記された木山口町(その3)

 これこそ、生活の糧を求めて都市的な場である街道筋に集住した人々の姿をみることができるのです(これも、昭和40年代以前の方々に「限定」されるかもしれません。1970年代以降の高度経済成長下の大規模造成による宅地開発によってもたらされた多様な人びとの集住、言い替えると「団地」の形成によって地域の個性が失われ「多様」な価値観・習俗が混在する、換言すると「都市」的な関係で集住する「団地」「宅地」が日本の此処そこに造られていったからです)。
 多様な地域から集住する場、それこそが「町」として表現されている社会的空間であり、歴史的に長く住み続け、地縁血縁で結ばれた空間が「村」として表現された場なのです。
 都市的な場である「町」と村落的な場である「村」のいいところ悪いところが各々ありますが、今、「おひとり様」が増加し孤独死が多くなっている現代社会、さらに豪雨災害で避難を余儀なくされる現代社会において、日頃の助け合いを拒否される「お一人様」は有事の際に多くの手がいる方々であることをそろそろ自覚された方がよいと思える今日この頃です。
 みんなで役割分担し、住民も事業者も役場もみなで「自助」・「共助」・「公助」することが、コンパクトな行政機関(多額の税金をつぎ込まない自治体)をつくる方法だと思います。

■「町」と記された木山口町(その3)
■東日本大震災(多賀城市)で見た、川の上に「建つ?」家

■「町」と記された木山口町(その3)
■多賀城市の避難所で食事が配られる様子
(全国からレスキュー部隊としてお手伝いに駆けつけていました。)

■「町」と記された木山口町(その3)
■この時、配給された夕食(「温かい」というだけで幸せになりました。)

  これは、東日本大震災のレスキューに行って学んだことです。

※自助・共助・公助は、人の意識の根底にある、まずは自分のことは自分で行う、自分のできること以上の苦難が出てきたら周囲のみんなと協働する。さらにみんなでできない苦難が生じてきたら、もっと大きな公的な力で動く。でも、まずは自分の事は自分でやってみよう。という単純なことを表現した言葉です。自分の事を自分でやったことがない、やりたくない方々が、この言葉をネガティブにとらえて広言している方々がいるので、日本の社会も「平和」なものだと悲しくなります。



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Posted by 基山の歴史と文化を語り継ぐ会  at 21:00 │Comments(0)基山の文化遺産

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