2019年06月30日

■創作劇『こころつないで』を、ふか~く楽しむために

■創作劇『こころつないで』を、ふか~く楽しむために(その13)

7.遺跡・遺物に表現された現実を知る

 行政的には埋蔵文化財、一般に知られた言葉では遺跡を発掘調査していると、今から1500年ほど前の古墳の石室から鉄製の剣や鎧が出土することがあります。この時、「うわぁ~、何か宝ものが出た!」と耳にします。「宝モノ」と聞けば金財宝を思い浮かべますが、発掘調査をしていると金属製の遺物が出土することはあまりありませんので、そのような発想になることはいたしかたないのかもしれません。しかし、剣、鎧は、言い方をかえると武器・武具です。武器・武具があるということは争いがあったということは容易に想像がつきます。現代社会では、いわゆる銃刀法というものがあるので、武器そのものをお供えすることは禁じられていますが、親族の葬儀の際に武器そのものをお供えすることは少ないでしょう。それは、現代の日本が武器を必要とする社会ではないことの証ともいえます。

 ここに、佐賀県にある特別史跡吉野ヶ里遺跡から出土した甕棺と人骨の写真があります。

■創作劇『こころつないで』を、ふか~く楽しむために


■創作劇『こころつないで』を、ふか~く楽しむために


●特別史跡吉野ヶ里遺跡検出の甕棺(佐賀県教育委員会、1990)
佐賀県教育委員会(1990)『環濠集落 吉野ヶ里遺跡 概報』より

 頭のない人骨を埋葬した甕棺、矢じりが刺さったと考えられる人骨などは、何を物語っているのでしょうか。頭のない人骨は、いまでこそ語られることはなくなったと思いますが、かつては奴隷の墓と言われていました。「奴隷」、いいかえるとモノを言う道具といわれるほど、過酷な労働を強いられる階層の人々を指しています。そのような時代があったことは記憶に留めておく必要があります。このような過酷なまたは熾烈な階層の人々のために、製作に数日を要する甕棺を作ることや集落に共住する人々と同列の墓に埋葬されていることを考えると疑問が生じます。これは、何かの出来事に巻き込まれた親族の墓ではないかと想像できます。何かの出来事、そう、争いが容易に想像できます。ムラとムラの間で水争いや耕作地を巡る争いによって戦が起き、戦いの中で、首を切られてしまった仲間の墓だと想像できます。

 このように、遺跡の発掘調査で明らかになることは、宝もの探しではなく、人々が生きてきた証を記録し、その時代に何が起こったのか、どのような社会だったのかを考える「証拠」を掴むため、無造作に掘り散らかすのではなく、一つひとつを丁寧に掘り、骨に刺さった小さな矢じり等、遺跡(埋蔵文化財)の記録保存のための発掘調査が行われているのです。

※竪穴住居の発明は、人々の行動範囲を広げ、土器の発明は食材の幅を広げ、幼子、病人、高齢者の食の幅を広げることに大きな貢献をします。稲などの穀物栽培は定住化を促進し、食の安定化と多世代の移住に要する労力を軽減します。
 一方、穀物栽培に伴う定住化については、穀物栽培のための時間、ゴミや排泄物処理のための時間など、人々が従来持っていた自由な「時間」を拘束したという考えもあります。どちらが人類にとっていいことなのかは、その後の社会発展の状況から複合的に考えていかなければならないことです。「いいこと」もあれば、「悪いこと」もある。これらを、私たちを取り巻く社会の思想的な背景があり完全とはいえませんが、可能な限り恣意性を排除して観察し、未来に生かしていくことが歴史を学ぶ目的の一つなのです。




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