2018年07月15日
■我が町基山の宝 「絆」
7月初旬、関東地方では梅雨明けが宣言され、九州でも梅雨明けが期待されていた。しかし、自然の猛威は甘くはなかった。7月5日夕方からはじまった豪雨は、翌6日、そして7日にかけて我が町基山を襲った。
佐賀県内の各地で総雨量500mmをゆうに超え、絶え間なく降り注ぐ雨は、その先にある災害を予想させるに十分な降り方であった。
6日夕方、その予想は現実のものとなり、特別史跡基肄城跡がある基山(きざん)の東麓の丸林集落をはじめ町内各地で山が動き始める。「ド~ン、ドド~ン」という轟音が響きわたったと6区の方からお聞きした。数軒のお宅で土石流が貫通し、自然の猛威を目の当たりにした。

●崩れた基山(きざん)への道路【下位に丸林集落がある】
土砂災害で孤立した集落も出た。
町内各地に豪雨の爪痕が今も残る。
驚愕する爪痕として、鳥栖-筑紫野道路の西にある亀の甲堤の斜面崩壊の現場が今も露出している。

●亀の甲堤と鳥栖-筑紫野道路(矢印:今回決壊の危険があった方向)
昭和28年7月の豪雨によって決壊し、その惨事が写真に残されている。


●亀の甲堤決壊(基山町教育委員会、2003より抽出改変)

●昭和28年7月に決壊した方向(昭和32年修正の地形図)
【決壊した多量の水と土砂が溢れているところに、現在は鳥栖アウトレットと道路がある。】
もし、この堤が決壊し、かつ鳥栖-筑紫野道路に多くの方々が往来していたら、大惨事となっていただろう。昭和28年の惨事を知っておられる方が決断し、鳥栖-筑紫野道路の通行止めを行われたと聞く。これこそ失敗を繰り返さない歴史(経験)を生かした決断である。決断されるまでには、様々な迷い、葛藤があったと想像できる。「何かあってからでは遅い!」、勇気ある大きな決断であった。
そして何よりも、多くの区で区長さん、民生委員さん達をはじめとし、多くの住民による避難行動が起こされたことである。寝たきりの高齢者も含め、被災した丸林集落をはじめ、山手の多くの集落で避難が行われた。結果、誰一人命を奪われる事態に至らなかった。
TV報道で、逃げなかった父親を救出しにいった息子さんの映像が紹介されている。その中で、息子さんが父親にむかって「人と違う行動が、どんなに危ないか分かっとるんか。」と、それも諭すように優しく言われている。そう、自分だけは大丈夫という過信、慢心に、命を奪われる危険が隠されている。皆が、「何かあってからでは遅い」、という気持ちで念のため避難していれば、救えた命もあったはずである。
我が町基山を救った、多くの人々の力は、今、被災した方々への支援に生かされている。多くの方々がボランティアとして集い、被災した家々の清掃、復旧に力が注がれている。

●復旧支援の様子
途切れつつある人とひとの絆の強さと深さが、我が町基山にはある。
まさに、我が町基山の大きな宝であり、再認識した出来事であった。
命が奪われなくて良かった・・・・・。
そして、尽力された多くの皆さまに、心から深く深く感謝いたします。
【引用文献】
基山町教育委員会(2003)『KIYAMA 基山町の20世紀』
佐賀県内の各地で総雨量500mmをゆうに超え、絶え間なく降り注ぐ雨は、その先にある災害を予想させるに十分な降り方であった。
6日夕方、その予想は現実のものとなり、特別史跡基肄城跡がある基山(きざん)の東麓の丸林集落をはじめ町内各地で山が動き始める。「ド~ン、ドド~ン」という轟音が響きわたったと6区の方からお聞きした。数軒のお宅で土石流が貫通し、自然の猛威を目の当たりにした。

●崩れた基山(きざん)への道路【下位に丸林集落がある】
土砂災害で孤立した集落も出た。
町内各地に豪雨の爪痕が今も残る。
驚愕する爪痕として、鳥栖-筑紫野道路の西にある亀の甲堤の斜面崩壊の現場が今も露出している。

●亀の甲堤と鳥栖-筑紫野道路(矢印:今回決壊の危険があった方向)
昭和28年7月の豪雨によって決壊し、その惨事が写真に残されている。


●亀の甲堤決壊(基山町教育委員会、2003より抽出改変)

●昭和28年7月に決壊した方向(昭和32年修正の地形図)
【決壊した多量の水と土砂が溢れているところに、現在は鳥栖アウトレットと道路がある。】
もし、この堤が決壊し、かつ鳥栖-筑紫野道路に多くの方々が往来していたら、大惨事となっていただろう。昭和28年の惨事を知っておられる方が決断し、鳥栖-筑紫野道路の通行止めを行われたと聞く。これこそ失敗を繰り返さない歴史(経験)を生かした決断である。決断されるまでには、様々な迷い、葛藤があったと想像できる。「何かあってからでは遅い!」、勇気ある大きな決断であった。
そして何よりも、多くの区で区長さん、民生委員さん達をはじめとし、多くの住民による避難行動が起こされたことである。寝たきりの高齢者も含め、被災した丸林集落をはじめ、山手の多くの集落で避難が行われた。結果、誰一人命を奪われる事態に至らなかった。
TV報道で、逃げなかった父親を救出しにいった息子さんの映像が紹介されている。その中で、息子さんが父親にむかって「人と違う行動が、どんなに危ないか分かっとるんか。」と、それも諭すように優しく言われている。そう、自分だけは大丈夫という過信、慢心に、命を奪われる危険が隠されている。皆が、「何かあってからでは遅い」、という気持ちで念のため避難していれば、救えた命もあったはずである。
我が町基山を救った、多くの人々の力は、今、被災した方々への支援に生かされている。多くの方々がボランティアとして集い、被災した家々の清掃、復旧に力が注がれている。

●復旧支援の様子
途切れつつある人とひとの絆の強さと深さが、我が町基山にはある。
まさに、我が町基山の大きな宝であり、再認識した出来事であった。
命が奪われなくて良かった・・・・・。
そして、尽力された多くの皆さまに、心から深く深く感謝いたします。
【引用文献】
基山町教育委員会(2003)『KIYAMA 基山町の20世紀』
■オキナグサが咲いてます!
■令和6年度基肄城関連事業終了
■基肄城顕彰建造物 往時の景観を取り戻す
■『基肄城を未来へつなぐ』企画展 開催中
■令和6年度クロスロード文化講演会
■令和6年度 第8回きやま創作劇公演
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