2018年03月25日

「天神社」と「天満宮」(その3)

●道真公左遷に加担した人々の不可解な死
 菅原道真公の死後、都では疫病の流行、地方では干ばつが続き、世情不安な世と変貌していきます。そして、延喜5年(908)10月の藤原菅根(すげかね)の死から、藤原時平の死へと道真左遷に関わった時平一派といわれた人々があいつで不可解な死を遂げます。

 無念の内に死した道真公の「怨霊」の祟りによるものだとの噂が、都人を震撼させます。そして、ついに菅原道真公をして「天満天神」となした出来事が起きるのです。
「天神社」と「天満宮」(その3)
■落雷事件が起きた清涼殿

 延長8年(930)6月26日、日照り続きの中、諸卿が請雨の会議を開いていた清涼殿の上を愛宕山から湧き起った黒雲が覆い、この黒雲から一筋の雷が清涼殿をつらぬきます。その落雷によって菅原道真の事情聴取を行った大納言藤原清貫(きよつら)は衣を焼かれ胸裂けて即死、そこに座していた多くの人々が亡ったのです。
「天神社」と「天満宮」(その3)
■現在の京都御所にある清涼殿
(落雷事件があった清涼殿は、鎌倉時代に焼失し再建されていません。)




タグ :清涼殿

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