2018年03月18日
■長崎街道を歩く
本会有志によって、昨年より木山口町(現基山町)から長崎まで長崎街道を歩く会が不定期ながら継続され、去る3月11日に大村宿から永昌宿(現諫早市)まで到達しました。

■前回(彼杵宿~大村宿)の到達点・大村宿をスタート

■今回の到着点・永昌宿

■今回の行程
毎回9時から17時頃まで歩き、平均15km程度、山あり谷あり、時には現在の道路で削られて絶壁あり、ヤブありの中、「諸先輩方」の積み重ねの上に描かれた地図を手掛かりに歩いています。(江戸時代は、男性で40km/日だったようです。とても歩けません・・・。)

■新設道路の横に残される長崎街道
(不可解な舗装道路が交差点横に一部残されています。)
最も役立つのは、この「諸先輩方」が残してくださっている小さな道しるべです。道に迷いそうになると、この道しるべが現れ、迷える私たちを先へ導いてくれます。まさに、我々にとって「猿田彦大神」様のような存在です。

■地域の諸先輩方が残してくださっている道しるべ

■旧大村藩と旧佐嘉藩の境界【日野峠(鈴田峠)】

■タイムスリップしたような気になる峠越えの道
長崎まであと少し。長崎の終着説は数あれど、私たちの終着予定地は、新たに架橋された出島を目指しています。長崎到達後は、木山口町を起点に「反転」し、今度は小倉常盤橋を目指します。
毎回のお楽しみは、如何なる場所でも開催される到着地での「反省会」。
旅の疲れを肴に、ついつい長居してしまう、「たのしい会」です。

■ある時は喫茶店で、ある時は道の駅やJR駅構内で、この日は少し贅沢に・・・。

■前回(彼杵宿~大村宿)の到達点・大村宿をスタート

■今回の到着点・永昌宿

■今回の行程
毎回9時から17時頃まで歩き、平均15km程度、山あり谷あり、時には現在の道路で削られて絶壁あり、ヤブありの中、「諸先輩方」の積み重ねの上に描かれた地図を手掛かりに歩いています。(江戸時代は、男性で40km/日だったようです。とても歩けません・・・。)

■新設道路の横に残される長崎街道
(不可解な舗装道路が交差点横に一部残されています。)
最も役立つのは、この「諸先輩方」が残してくださっている小さな道しるべです。道に迷いそうになると、この道しるべが現れ、迷える私たちを先へ導いてくれます。まさに、我々にとって「猿田彦大神」様のような存在です。

■地域の諸先輩方が残してくださっている道しるべ

■旧大村藩と旧佐嘉藩の境界【日野峠(鈴田峠)】

■タイムスリップしたような気になる峠越えの道
長崎まであと少し。長崎の終着説は数あれど、私たちの終着予定地は、新たに架橋された出島を目指しています。長崎到達後は、木山口町を起点に「反転」し、今度は小倉常盤橋を目指します。
毎回のお楽しみは、如何なる場所でも開催される到着地での「反省会」。
旅の疲れを肴に、ついつい長居してしまう、「たのしい会」です。

■ある時は喫茶店で、ある時は道の駅やJR駅構内で、この日は少し贅沢に・・・。