2012年03月14日
ただモノではない「展望台」
基肄城跡の最高所からやや下がったところに、筑紫平野を一望できる展望台があります。
老朽化が著しく、立ち入りが制限されている建物です。一歩、建物一階部分に回ってみると、「通天洞」と看板が掲げられた建物であることが分かります。
そう、今日の文化遺産は、この「通天洞」です。

昭和12年12月21日、基山(きざん)にある基肄城跡が、長年の願いを成就するように史跡指定を受けました。
それから遡ること、23年前、大正3年から地道な調査が、基山に住む一人の人物によって始められました。その方のお名前は、小林山専念寺ご住職・久保山善映先生その人です。久保山善映先生は、最も基礎的な調査である踏査を繰り返し行われ、基肄城の規模、遺構、瓦など様々な研究を進められ、基肄城跡の存在を確定されました。その結果、23年の歳月を経て、昭和12年の年の瀬に、晴れて史跡指定の通知を受けられることになったのです。
今回取り上げる「通天洞」は、昭和5年に発起された天智天皇奉賛銅柱(天智欽仰碑)建設に際して集められた、多くの協賛金の一部で建てられた休憩所的な建物で、当時作成された絵葉書を見ると、扉と窓が備えられていることが分かります。

基山のみならず佐賀県全域の人々の力が結集されたこの建物、今は廃墟的な扱いを受けていますが、史跡指定に湧く、基山の面影を見ることができる貴重な文化遺産の一つなのです。
余談
同時に、東屋が基山(きざん)最高所に建てられていました。今は、基礎のみ面影をとどめています。

老朽化が著しく、立ち入りが制限されている建物です。一歩、建物一階部分に回ってみると、「通天洞」と看板が掲げられた建物であることが分かります。
そう、今日の文化遺産は、この「通天洞」です。

昭和12年12月21日、基山(きざん)にある基肄城跡が、長年の願いを成就するように史跡指定を受けました。
それから遡ること、23年前、大正3年から地道な調査が、基山に住む一人の人物によって始められました。その方のお名前は、小林山専念寺ご住職・久保山善映先生その人です。久保山善映先生は、最も基礎的な調査である踏査を繰り返し行われ、基肄城の規模、遺構、瓦など様々な研究を進められ、基肄城跡の存在を確定されました。その結果、23年の歳月を経て、昭和12年の年の瀬に、晴れて史跡指定の通知を受けられることになったのです。
今回取り上げる「通天洞」は、昭和5年に発起された天智天皇奉賛銅柱(天智欽仰碑)建設に際して集められた、多くの協賛金の一部で建てられた休憩所的な建物で、当時作成された絵葉書を見ると、扉と窓が備えられていることが分かります。

基山のみならず佐賀県全域の人々の力が結集されたこの建物、今は廃墟的な扱いを受けていますが、史跡指定に湧く、基山の面影を見ることができる貴重な文化遺産の一つなのです。
余談
同時に、東屋が基山(きざん)最高所に建てられていました。今は、基礎のみ面影をとどめています。

■令和6年度基肄城関連事業終了
■基肄城顕彰建造物 往時の景観を取り戻す
■『基肄城を未来へつなぐ』企画展 開催中
■令和6年度クロスロード文化講演会
■令和6年度 第8回きやま創作劇公演
■基肄城月間
■基肄城顕彰建造物 往時の景観を取り戻す
■『基肄城を未来へつなぐ』企画展 開催中
■令和6年度クロスロード文化講演会
■令和6年度 第8回きやま創作劇公演
■基肄城月間