2019年05月05日

■神や仏(その1)

 天皇家の始祖が天照大御神様で、女性神であることは知られています。神様がこの地に降りて来られ、天皇家へ引き継がれていくという『神話』が、奈良時代に編さんされた『古事記』に記されています。この地に降りて来られたのが瓊瓊杵尊様で、それを先導されたのが道しるべの神さまとして祀られる猿田彦大神様です。この神世から地上へ舞い降りたこの物語が天孫降臨として語られています。

■神や仏(その1)
■木山口町の北の入り口・若宮八幡神社の長崎街道沿いに建つ猿田彦大神碑

 日本の神様をお祀りする場が、神社であることは皆さんご存知でしょう。
神様といえば、イエスを救い主として信じるキリスト教や他の様々な宗教でも「神様」という言葉を使います。諸外国で起こった宗教に共通していることは、「神様」のお言葉を人々に伝えるという形をとり、その先達が「教祖」と呼ばれることが多いようです。
 一方、「神様」のお言葉を人々に伝える形に似た宗教として、「仏様」のお言葉を人々に伝える宗教に仏教があります。といっても、仏教が伝える経典は、仏となられた釈迦(ゴータマ・ブッダ)の教えが記されています。
 いずれにしても、崇拝する神・仏のお言葉(教え)を仲介する人(教祖)を介して人々に伝えるのが宗教とされています。一方、宗教という教えを持たず、「神」という存在そのものを敬うのが、「宗」という単語を持ちない「神道」です。

 天皇家の「神道」が始まる前から、自然神を祀り崇める「道」として、神道は始まっています。荒穂神社の御祭神が瓊瓊杵尊様であると記しましたが、その前から存在していたと考えられるのが、基山(きざん)山頂に祀られている「タマタマ石」に宿りし「荒穂大明神」様です。

■神や仏(その1)
■基山(きざん)山頂に鎮座する「タマタマ石」
■神や仏(その1)
■荒穂神社
【鳥居-御本殿を結んだ先の基山(きざん)山頂にタマタマ石が鎮座しています】

 人々は、衣食住を求め自然の中で生活していました。定住化した生活が、人々の安寧をもたらしたという解釈が一般的ですが、一日の時間的拘束をもたらしたのも定住化生活であったという解釈もなされています。狩猟採集社会であれ、農耕社会であれ、自然との「共生」は必ず必要となってきます。現在も、その時々の天候に様々な事象が左右されていることを考えると、「自然神」の存在は人々の中に必然的に生まれてくることは否定できないでしょう。今や、昨今の自然災害をみるにつけ、「耐震」「自然に打ち勝つ防災」が絵に描いた餅であり、「免震」「自主避難」がマスメディアの文字として出てきていることからも理解できるのではないでしょうか。
 日本の神道は、神の教義を伝えるのではなく、日々の生活の安寧に感謝する祀りが根幹にあります。このように考えてくると、神道と宗教とは本来別のものとした方がいいのかもしれません。

 ただし、このような考えのもと、宗教外の思想として神道を扱い、国家神道として政治の道具に利用された時代があったことは忘れてはなりません。



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