2023年06月19日

■特別史跡指定70周年(その4)

 次は、我が町基山にある基肄城跡です。

■特別史跡指定70周年(その4)
【特別史跡基肄城跡(基山(きざん)山頂)】

●基肄城跡
【日本の歴史上の位置】
 地域を超え、広域で多様な価値観を統制するための仕組みである法治国家(律令制国家)として、国家機構(法の整備、官僚制、戸籍、徴税制、警察機構など)を整えていく過程で造られるとともに、その後の奈良時代には国家機構を担い体現した遺跡として位置づけられています。
 基肄城跡だけで表現されるものではなく、中心的存在としての大宰府跡、防衛線としての水城跡、北の守りの大野城跡などとともに地理的な関係性などを総合して歴史的位置づけがなされています。

■特別史跡指定70周年(その4)
【羅城としての大宰府防衛線】

 加えて、基肄城跡は、全国でも珍しく軍団名が明らかな「基肄軍団」が居たとされる場所であるばかりでなく、筑紫平野の豪族たちに対して法治国家を保つための警察機構的な役割を担う、「見せつける城」としての役割も担っています。※1

■特別史跡指定70周年(その4)
【筑紫平野に開かれた「見せつける城」】白色線が基肄城の防塁線

 いわば、現代の官僚制度、国家機構に通じる諸制度の始まりを物語る遺跡だといえます。

【証拠としての記録・遺構】
 基肄城跡は、日本最古の歴史書である「日本書紀」をはじめ六国史に記載されており、朝鮮式山城※2と呼称されています。また、基山(きざん)の南東斜面に土塁、石塁を巡らせ、その中に現在確認されているだけで40棟を超える礎石建物があることが分かっています。その防塁構造が、包谷式とする谷部に石塁を築き、南水門跡の石塁には谷部に集まる水を吐水させるために段階的に付設された4つの水門や、土塁石塁で囲われた内部に多くの礎石建物を配するなど、大宰府の北の守りとして築かれた大野城跡と類似している点も大宰府関連史跡群の一つとして証拠だてられています。

■特別史跡指定70周年(その4)
■特別史跡指定70周年(その4) 【石塁と南水門】

※1 本ブログ2014.9.20「基肄城のお話 その3 見せる城。見えざる城」をご参照ください。
※2 六国史に記載された山城を朝鮮式山城と呼称し、西日本に展開する27の山城のうち、25箇所が現在認められています。それに対し、六国史に記載されてはいないが、古代に築造されたと考えられる石塁などがある場所を神籠石山城として区別しています。近傍では久留米市の高良山神籠石や県内では佐賀市の帯隈山神籠石、武雄市のおつぼ山神籠石などが、それにあたります。




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