2021年12月25日

第5回きやま創作劇「絹の糸」 総括編2

 欧米列強の外的圧力に屈した清国のあり様を知った日本の人々は、同時に黒船襲来という現実に対峙せざるを得なくなります。そこから時代は近世社会から近代社会へ、封建的武士の社会から再び中央集権的な国家社会へと激動の道を歩んでいくことになります。ここは、第3回「草莽の民」で描かれた物語の舞台です。
 この欧米列強の外的圧力に抗するために、日本は富国強兵政策の内、外貨獲得施策の一つとして殖産興業化の道を歩むことになります。そこには、蒸気機関を使うとはいえ、人の手を介する工場制手工業、いわば現代のオートメーション化した機械生産に至るまでの中間的な人の手と機械による工場生産体制でした。

第5回きやま創作劇「絹の糸」 総括編2
●劇中での製糸工程の解説場面

 ここに、劣悪な工場労働が出現していくことになります。加えて、手工業と機械工業の中間的な生産では済まされない、近世的な労働価値観の残存ともいえる、12時間労働が当たり前の社会が存在していたことも忘れてはなりません。
 この労働環境を改善する動きは、明治20年(1887)の「職工法」制定の動きから始まり、42年の歳月を要し昭和4年(1929)7月に女子労働者と年少労働者の深夜業を完全撤廃し、一日の就業時間を制限した工場法の運用開始によって結実します。

 4つの港を開いていたとはいえ、限定的開国主義を堅持してきた江戸幕府の近世社会から、世界に開かれた国家を目指した近代日本は、その表裏の関係としての国際社会からの眼にさらされ、労働環境の改善に踏み切らざるを得ない現実に直面し、昭和6年(1931)運用開始を2年前倒しし工場法の施行に舵を切らざるを得なくなります。

 「絹の糸」の舞台である基山製糸場は、工場法の運用直前に我が町基山で操業を開始します。当然のことながら、「工場法」運用開始を意識しながらの操業開始であったことは想像できます。当時のことを物語る古写真は、「工場法」の運用開始を物語る貴重な資料であるといえますが、当時のことを記憶されている基山在住の方があまりおられないのは不思議でした。やはり、そこには工場側の都合である管理体制に基づく寄宿舎生活が背景にあり、郷里を離れ基山へと働きに出てきていた労働条件が存在していたことを物語っているのかもしれません。

第5回きやま創作劇「絹の糸」 総括編2
●寮母「岩子さん」に指導される女工さんたち

 「ホタル列車」が男性の立場からの近代末期の物語であるならば、今回の「絹の糸」は女工たちの姿を描きつつ女性の視点から近代末期の社会を描いた作品であったともいえます。

 さぁ、次回があるならば、どんな物語が描かれるのでしょうか・・・・


 おしまい



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Posted by 基山の歴史と文化を語り継ぐ会  at 09:43 │Comments(0)参画事業基山の文化遺産

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