2018年01月08日

基山町小倉と太宰府天満宮(その2)

 昨年末、太宰府天満宮宮司家のご先祖様は、平安時代末期に我が町基山の小倉に入って来られたとお話しいたしました。
 何故、宮司家、すなわち菅原道真公の縁者が小倉へ入って来られたのかを少し付け加えておきましょう。

 平安時代末期から遡ること永観2年(984)に、実は安楽寺(現在の太宰府天満宮)のお堂建築のための資金源として菅原輔正なる人物が、ここ小倉庄56町を安楽寺へ寄進したという記録が残されています(残念ながら、基山町小倉のどこにあたるのかは文献からたどることができません)。この菅原輔正は、当時、大宰府のナンバー2にあたる大宰大弐の地位にあった人物で、菅原道真公の曾孫にあたる方でした。
基山町小倉と太宰府天満宮(その2)
●江戸時代の絵図から現代の地図におとした小倉村の範囲

 曾祖父である道真公の遺徳を偲ぶとともに、神格化しつつあった道真公を崇めるために、寄進したとされ、この頃から都の皇族たちや貴族たちによる寄進行為が盛んになっていきます。専門用語で「寄進地系荘園」と呼ばれていますが、この都人たちによる寄進は、安楽寺にみられる特徴ともいえるものです。
 いわば、安楽寺の庄園になっていた小倉庄に、宮司家のご先祖様は都から来られたということになります。

 ちなみに、道真公の曾孫である菅原輔正は、昨夜、1月7日の夜、太宰府天満宮で奉納された鬼すべを、寛和2年(986)に初めて催行した人物としても知られています。
基山町小倉と太宰府天満宮(その2)
●鬼すべで出立前の説明を受ける鬼係の面々
【鬼係:鬼面(おにめん)を鬼すべ堂へ持ち上がり、鬼を囲い鬼すべ堂内でお祓いを受ける係】
※参加者募集!
 鬼そのものを見ることができる唯一の係です。
 来年の鬼すべに参加してみませんか!ただし・・・・・・。
 参加希望の方は、当会 中島まで。

※1町≒9917㎡≒0.99ha≒3,000坪 56町ですから555,352㎡(ヤフオクドームの面積69,130㎡ですから、約8つ分の面積にあたります。) 



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Posted by 基山の歴史と文化を語り継ぐ会  at 18:57 │Comments(0)基山の文化遺産

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