2014年05月03日

■基肄城のお話 その1

 基山駅から北西にそびえる基山(きざん)には、国の宝である特別史跡基肄城跡が鎮座しています。

 今年は、この基肄城が築かれて1349年目の年にあたります。そう、基肄城築城の前年には、太宰府(大宰府)にある水城が築かれており、特別史跡水城跡築城1350年の年にあたります。

■基肄城のお話 その1
 ●雪の基山(きざん)
 【近年は、あまり見ることができなくなりました。】

 素朴な疑問。「何故、基肄城や水城が築かれて1350年ということが分かるの??」

 それは、今から1300年ほど前、養老四(西暦720)年に編まれた国史、国の成り立ちを記した書物『日本書紀』に記されています。

 『日本書紀』天智天皇三(西暦664)年の条に「是歳、対馬嶋、壱岐嶋、筑紫国等に、防(さきもり)と烽(とぶひ)とを置く。又筑紫に、大堤を築きて水を貯へしむ。名けて水城と曰ふ。」と記されています。では、基肄城はというと、同じく『日本書紀』天智天皇四(西暦665)年秋八月の条に「達率憶礼福留、達率四比福夫を筑紫に遣して、大野及び椽、二城を築かしむ。」と記されています。太宰府(大宰府)の北にある四王寺山、ここに鎮座する特別史跡大野城跡のことは「大野」という記述に見えますが、どこにも「基肄城」の文字が出てきませんね。よく見てください、「大野」のあとに「椽」という文字があります。読みは「たるき」とも読みますが、「き」とも読みます。椽城で「きのき」、後に二字標記が用いられるようになり、「きのき」が変じて「きいのき」となり「基肄城」という字が用いられるようになりました。文武天皇二(西暦692)年の条には「基肄城」として記され修理された記事が出てきます。

 この記事から、もうひとつ、「秋八月」の条に「築かしむ」ですから、旧暦の八月といえば、今の九月頃に築かれたことになります。来年の九月には、我が町の宝である基肄城跡が築かれて1350年を迎えます。今年から、関係する市や町で各種イベントが行われます。この機会に、我が町の宝、基山(きざん)にある基肄城を知ってください。

■基肄城のお話 その1


 これで、基山(きざん)山頂にある、特別史跡基肄城跡の碑に「椽」の文字がある理由も分かりますね。


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